とらじろうの箱。

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【ゲンロン】伊藤剛×斎藤環×さやわか「『鬼滅の刃』と少年マンガの新情勢――竈門炭治郎の優しさと強さが伝えるもの」【イベントレポート】

はじめに

 2020年12月9日。最終巻の発売から一週間を待たずして、ゲンロンカフェで非常に刺激的なイベントが行われた。映画も空前絶後の大ヒット。この類を見ない盛り上がりに、伊藤剛斉藤環・さやわかという三人は『鬼滅の刃』へどのような光を当てるのか?

 筆者は始まる前から胸に期待を抱えていた。

(*2020年12月11日追記 本記事は敬称略とさせて頂いております。明記しておらず、大変失礼いたしました。申し訳ありません。*)

鬼滅の刃を語る言葉

 マンガ評論家の伊藤剛精神科医斉藤環、批評家のさやわかという三者三様の登壇者がついにあの『鬼滅の刃』を語る。筆者は、期待とワクワクに背を押されるようにして再生ボタンをクリックした。映画の大ヒットや最終巻の発売もあり「鬼滅の刃」熱は一向に冷めやらない。イベントはその勢いを表すかのように、伊藤の前のめりな力強いプレゼンで幕を開けた。

 伊藤はいくつかの鬼滅の刃評を紹介しながら、「鬼滅の刃は語りを呼び込むマンガである」と語る。続いてコラージュを参照し、「表現されたものを形式の水準で見ていく」ような批評はうまく鬼滅の刃に当てはめられないと述べた。分かりやすいがゆえに、分かりにくいという。この奇妙な感覚はどこからやって来るのか。話は少年マンガにおける修行やバトルの描写がどのように変わってきているのかという展開をする。

 さやわかは「鬼滅の刃には修行・説教・戦闘・過去語り」を繰り返す分かりやすさがあるとしながらも、最近のマンガとしては修行パートを入れるのが珍しいと指摘した。さらに、バトルのあり方もMMORPGのようなチームプレイを主体とするレイドバトル的描き方がされていると言及する。つまり、マンガは個人の成長や成熟ではなく、経験の蓄積や継承を描くようになっているのではないかという話だった。

立体的な語りの空間

 伊藤のプレゼンは続き、アルコールが入るといわゆるオタク語りの様相が強くなったが、本イベントの奇妙な魅力はここから深みを増していった。
 上弦の鬼である童磨(どうま)や猗窩座(あかざ)に対するキャラ語りを経て、伊藤から「(悪の人たちは)共感能力が基本的にない」という指摘が飛び出すと、議論は急激に熱を帯び始める。斉藤は「鬼に対し柱もたいがいである」と言い、胡蝶しのぶにおける目の描き方に着目した。すると伊藤によってマンガの多段階フレームモデルへ話がつながり、にわかにマンガ批評が展開されたのだ。

 まさしくアクロバティックとしか呼びようのない空間に、筆者は思わずうれしくなった。中身がないとも言えるようなオタク語りから、突如として切れ味鋭いマンガ批評が繰り出される。かと思えば、次の瞬間には再びオタク語りに戻っていってしまうのだ。

 これこそが、マンガについて語るということなのである!

 筆者は得も言われぬ説得力を感じながら、気が付けばのめり込んで対話を聞いていた。

 映画『無限列車編』の話に進むと夢の描き方が議題になった。鬼滅の刃における夢はユング的であるとし、フロイトの夢判断とどう異なるかという説明を聞いていると、いつの間にか炭治郎というキャラクターの奇妙さに焦点が合わされている。炭治郎の夢にはちゃんと意味があるが、フロイトの無意識には意味がないと斉藤は語った。中心に主体があり、その周りに通常の夢の世界があり、その外側に出るとより広大な無意識領域があるという『無限列車編』での夢は、ユング的に階層化された夢だという。その後は『インセプション』や『パプリカ』を引き合いに、フィクションにおける夢=無意識の取り扱いにまで話は広がった。

フィクションは無意識をどう描くか

 休憩後には「みなしご問題」をテーマに対話が再開した。「あえて」と前置きしながらも斉藤は専門的な知見を披露し、鬼殺隊や鬼は被害者で、トラウマを抱えている存在だと述べた。その視点を持つと正義の被害者(鬼殺隊)が闇落ちした被害者(鬼)を退治する話であると、物語の構造を捉えられる。そこから斉藤は、自身の臨床経験を踏まえ、被害者と加害者の複雑な往復に切り込んだ。「孤立」に着目し、鬼滅の刃は孤立がいかに人を追い込むのかを描いているかのように思えると話す。

 息をつく暇もなく今度はマンガ表現の話へと矛先が向いた。

 マンガには発話の主体を曖昧にできるという特徴があるとし、最終巻に書き足されたモノローグの奇妙さを語り始める。三人は、他にも吹き出しの使い方やコマの割り方、構図の取り方など多様な視点から鬼滅の刃を解きほぐそうと試みていた。

 その中で再び炭治郎の無意識にスポットが当たると、「炭治郎の欠落は想像力にある」とし、斉藤は水を得た魚とばかりに興味深い持論を繰り広げる。嘘が付けない、絵が描けない、歌が下手など。作中でのエピソードを紹介し、虚構にスキルを発揮できないのが炭治郎なのだと語る。そしてその想像力の空虚さの根幹にあるのが「ニオイ」であるとした。ニオイは真理しかなく、虚構のニオイは存在しないという。するとさやわかが素早く反応し、伊藤も自身の持つ視覚優位な夢の経験を語るとますます語りが立体的になっていくのだ。

 驚くことに議論の活発化は留まるところを知らない。

 伊藤のオタク語りが再度炸裂すると、それをさやわかが噛み砕き、鬼滅の刃は「つらいこと、かわいそうなことを期待して読むマンガである」と指摘。以前のイベントで写真家の大山顕が言っていた「リアリティショー」というキーワードを提示した。その後はフィクションとは何か、キャラクターとは、作者とは何か。ひいては「マンガで心が描けるのか」というところにまで手が伸びていく。

 千差万別に思える話題がマンガを介して次々と接続されていく、この快感。これはここ以外では決して味わえないものだろう。

 萩尾望都高橋留美子柳田國男クリストファー・ノーラン、アンリ・ベルクソン國分功一郎、マイケルジャクソンと、レポートでは触れられなかった名前を羅列するだけでもこの奥行きが伝わって来る。

 動画は半年間アーカイブされるという。台風の目で空を見上げているようなこの刺激的な空間を、是非ともその目で、体で、味わっていただきたい。

shirasu.io

おまけ

 なお、本イベントは途中からネタバレ有で話が進んで行く。原作未読の方は、是非、読み終えた後で安心して動画を視聴していただきたい。