とらじろうの箱。

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【放談】日記【No.21】

最近のSNSでは自分を傷つける人間や物事から距離をとることや、自分が傷つくことそのものから距離をとることについて賞賛が集まっている。

 

少なくともぼくが観察できる範囲でのTL(タイムライン)ではそういう世界が広がっている。

 

結論からいうと、ぼくはこの雰囲気がとても苦手だ。

確かに「他人を傷つけるのはやめましょう」「暴力は良くないことです」というのを素直に延長させていったら自分を傷つける人間=悪であるし、悪=忌避すべきものという話になるだろう。それは分かる。

 

けれども、そもそも人と話したり何かを見たりすることはある種の暴力にさらされることと同じであって、それを抜きにしてコミュニケーションは成り立たない。人は自分の思いや考えを過不足なく伝えるための言葉を持たないし、仮にそいう言葉があったとしてもそれをパーフェクトに使いこなす能力を持つことはできないだろう。

 

なぜなら人は刻一刻と考えや思想を変えていくし、物理的、化学的にも同じ状態にはないのだからして、言葉の受け止め方や感じ方もその瞬間瞬間で変わるからだ。常に変化を続けるルールに対して瞬時に対応する能力を持つ人間がいるとすれば、そいつはもう神なのであって、そんな奴がいる世界なら戦争はここまで泥沼化しないし、ここまでSNSも発達していなかっただろう。

 

話がそれた。

 

つまるところ言いたいはこういうことだ。

万人受けする言葉は確かに心地よいが、その心地よさに釣られて他人の言葉を自分の指針にしないほうがいい。

 

自分で「自分を傷つける世界の存在なんてこれっぽちも認めてやるもんか!」と思うのなら止やしないが、「ほら、あの人もこうやって言っている!」的に神輿を担ぐと流行が変化した時についていけなくなる可能性が高いのでやめた方が良いと思う。これはぼくの個人的な”意見”だ。

 

ぼくにとっては、この手の言葉を使って正義面をする人たちは総じて嘘つきなのだ。

 

生きているくせして「自分を傷つけるものからは距離をとりましょう。私はそれでとても心穏やかに生活できるようになりました」なんて嘘に決まっている。

 

そんなふうに矛盾を隠すくらいなら堂々と「私は矛盾しているけど、それで生きているし、楽しいからいいのだ。人間なのだから」くらい言って欲しいものだ。

 

と、こういう能力が著しく低いぼくは思う。