とらじろうの箱。

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【放談】大学図書館が、楽しい。【NO.7】

はじめに

 コロナ禍は落ち着くわけもなく、ぼくの生活もそれに右往左往する中読書だけは自由にできる。そのことに気が付いてからは以前より本を買い、本を読むようになった。何より手を動かすことが物理的にできない中、暇をつぶすのに読書は最適だった。

 こういう生活が続くと、時折、どうしても飽きる瞬間が来る。いかに自分の興味関心のある分野にかかわることであろうと、特定の許容範囲を超えると急激に疲れてくるのだ。すると今まで主体的に読んでいた以外の分野にも目が行くようになる。このような場合、図書館、とりわけ大学図書館は読書の場として最適なのである。

 そういう話を今からする。

本屋より図書館

  まずもってぼくは、時代遅れのニオイを感じながらもいまだに紙媒体で本を読んでいる。もともと散歩が好きなので、本屋にはそのついでに寄っていくというのが常だった。この前提がある以上、基本的に手に届くのは紙の本なのである。近頃は電子書籍も買い始めたが、それは部屋の散らかり具合に我慢できなくなってきたことが大きな理由である。

 んで、比べてしまうと本屋より図書館の方が便利であるという話をする。

 第一に図書館は静かだ。店員さんもいない。だから立ち読みがしやすい。

 第二に図書館には現在性の低い本が多い。だから物事を歴史として理解しやすい。

 いずれも裏を返せばメリットともデメリットとも捉えられることではある。しかし、いまのぼくは図書館の側に肩入れして上記のことを語りたい。

 第一の点に関してはごく単純である。目当ての本がある場合には良いのだが、なんとなーく本を探いしているときに立ち読みができないとすごく困るのである。本屋でも立ち読みができないことはないが、様々に気を遣うことがあり、かなり疲れてしまうのでぼくは好きじゃない。パラパラとトピックを確かめつつ、その上で今読みと丁度よさそうな本を見つけるのには自分のペースで目次を読むのが大切なのだ。時折店員さんが気にかけてくれることもあるが、自分と前提の異なる人に対して正確に目的をつげる能力を高めるのはかなり大変で、いまのぼくにはそれが不足している。

 第二の点に関してもけっこうシンプルだ。本屋さんは基本的に売れる本が置いてあるので、その時々の時勢の理解には助かるが、それがどのような流れの中でどう位置付けられるのかにはまた別の能力が求められる。一方図書館では分野ごとに出し惜しみなく所蔵資料を陳列しているので棚を眺めればだいたいの歴史が俯瞰できるのだ。めっちゃ便利である。もちろんこちらの場合にもある程度の知識は必要だが、検討を付けるための補助輪としては申し分ない。書店員もプロフェッショナルではあるのだが、図書館司書の方々はそれとは別の意味でプロフェッショナルであり、彼ら彼女らの陳列や選択にはそれだけで意味が付随するので、物差しとしての信頼度も高いのだ。ありがとう、職員の皆さん。

図書館より大学図書館

 さらに図書館より大学図書館が楽しいという話。

 冒頭で飽きの来る瞬間があるということを話したが、まさにそういう時お勧めしたいのが大学図書館だ。特に、自分の通っている、あるいは通っていた大学の図書館が合お勧めである。というのも、どれだけナァナァで大学生になろうが基本的には自分の興味関心と近い分野の大学に入学しているはずだからである。こう考えると大学図書館は知らんうちに世界が用意してくれていた「自分専用の図書館」なのだ。しかも、今現在興味関心が無くても、きっかけがあれば興味を持てるゾ! コーナーが満載なのである。

 大学にはたいてい自分の専攻に近い別の専攻が存在し、そのために大学図書館には自分の関心分野の周辺に明るい書籍が置かれている。これは大学図書館を散歩するとよくわかるので、暇を持て余していている若人は是非図書館散歩をしてみて欲しい。

 ぼくの場合、散歩した結果、手元にはきのこの本とBLの本とジェンダーの本と筍の本と観光の本がある。コレが結構良いのだ。一見脈略のない様な本の間につながりの生まれることがある。これは快感だ。

 一般的な図書館では専攻別ではなく、ジャンル別なので整理されていることが多いのでこの快感はなかなか生まれない。大学図書館万歳!

 あと、大学図書館はその大学の生徒であれば結構希望図書を購入してくれることが多い。気がする。もちろん全くの趣味で、あれ買ってくれこれ買ってくれはできないが、キチンと理由を述べられれば結構力になってくれる。学生なんて基本的には金が無いので、価格の高い本は大学図書館で、なんて選択肢も生まれてくる。

 ありがたい。

おわりに

 放談というより雑感メモに近くなってしまった。

 まあよい。はてぶろサービスを利用しているとはいえ、この記事はぼくの記事なのだ。好きに書いてみる。もちろん、好きに書いただけでは何もなく単なる自己満足の域を出ないかもしれない。だが、メモなんてものはもともとそういうモノだろう。

 ようはコレがメモで終わらない未来を作れば良いのである。

 とかなんとか。

 ふーむ。久しぶりにまとめて打鍵しているがこれは楽しいものである。Twitterに140字制限が無かったらこういうことをつぶやきまくっていた気がする。

 では、また。