とらじろうの箱。

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【ひらめき☆マンガ教室】第2回課題・あなたらしい作品を! ネーム編【第4期】

第2回課題・あなたらしい作品を!

前置きがあるので、読み飛ばしたい方は目次からお好きな場所にお飛びください。

はじめに

 改めまして、ひらマン4期聴講生の「とらじろう」と申します。今回は第2回課題に対するネーム提出作品へのコメントを書いていきます。

 今後変更があるかもしれませんが、以下に示すのが本エントリーの構造です。

  1. 課題文の要約
    どんな漫画をどういう風に書いてほしいと言われたのか、ぼくなりに一言か二言でまとめます。
  2. 何を意識して作品を読んだか
    2つか3つほどの要素を提示します。その点については意識的に読み取ろうとして読んだよ、という意思表示です。
  3. 作品を読んだ環境
    PCで読んだ、とか、スマホで読んだ、B5に印刷して読んだ、とかそういう奴です。ひらマンでは『誰に向けて描いたのか』を重視しているように思えます。したがって、漫画がどのような媒体に掲載されるのか(どのような環境で読まれたのか)は大きな要素であると考えてこの欄を設けました。
  4. 作品へのコメント
    エントリーの本丸ですね。長くなり過ぎないように心がけますがシンプルに作品へのコメントを描きます。ただし、少なくとも一つは「ここはこうした方が良いのでは?」的なことを書くつもりでいます。

*提出作品が確認された段階で随時更新する方法をとっています。そのためにコメントは順不同となりますのでご了承ください。更新回数はタイトルで示し、ゲンロンから定められた期間内に掲載されたすべての作品にコメントを終えた段階で本エントリーの大きな更新は終了とします。*

課題文の要約

 描きたいもの(≠好きなもの)に遠慮することなく、なるべく多くの読者へ伝えたいことを意図したとおりに伝える漫画を、しかもそれでいて読者のストレスが無いように精一杯工夫した作品を読ませてほしい。

何を意識して作品を読んだか

 1点目は「流し読みできるか」です。マンガはもともとラーメン屋に来る親父が読むようなものだった、という言説もありますが、マンガの特性の一つに「素早く読むことが出来る」ことがあると思います。週刊漫画誌では都心の駅間隔の間に読み終えるマンガを載せるという話を聞いた覚えのある人もいると思いますが、今回はこのような背景を考えてさぁっと読む場合に焦点を置いてみます。要は、リーダビリティの話だと思ってもらえればと思います。

 2点目は「面白かったか」です。単純ですね。かなり個人的感覚による部分だとは思いますが、なるべく正直に一読者として位置付けられるぼく個人が読んだ作品を面白いと思ったかどうかを考えてみたいと思います。

作品を読んだ環境

 ノートPCのchromeブラウザでスクロールを利用して読みました。ブラウザの最大表示で見開きを確認できる形式で読んでいます。

 導入が長くなりましたが、以下、コメントへ。

作品へのコメント

『スラムの炎』作者:シバ

 絵の選び方が上手く、線の強さがあるマンガなのでサッと画面を追いかけていくだけでも話の盛り上がりを容易につかむことが出来ました。その一方で、プロット的に物語内容を追いかけていくと2ページに一度くらいの間隔で「何か話が飛んでないか?」と思ってしまいます。

 次に、面白さについてですが、先ほども書いたように盛り上がりが非常にはっきりしている上に王道的なストーリーを描いているのでネームの段階でも十分に楽しめました。違いのはっきりとした二項対立を扱っているし、主人公が少年なので、男性読者であり少年漫画に慣れているぼくにとっては通りのいいマンガだったのだと思います。9ぺージの迫力も素晴らしいですし、主人公が炎の中を立ち上がる12ページでは思わず「いっけぇえ!!」となる程でした。とても格好いい主人公像だと思います。

 一方で少しゆっくりと、ストーリーではなく実際にマンガで描かれていくことを追っていった際には飛躍や矛盾が多いのかなとも感じました。

 マンガの前半ではすごく乗り気にスラムの人々を連れ出している護衛の者たちが、なぜか物語の終盤で王様の心変わりを歓迎していたり、そもそも王様が心変わりした理由が不透明だったりするように思います。王様が主人公の行動によって何らかの影響を受けたところまでは解ります。ですが、それが具体的にどういう変化なのか、大前提として王様はどうして気が狂ってしまっていて、それがどうなると正気に戻るのかをこのマンガから読み取るのは難しいと思いました。

 またこの話の肝は主人公が死ぬフリをしていてそれにみんなが騙されるところなのだと考えました。その観点からすると、どうして主人公は7ページで王様を煽ったのかが分かりませんでした。というのも、この流れならば主人公は自分の手で剣を振りかざさなければならないのに、王様を刺激してはそうできる可能性が低くなるのではないかと思ったのです。主人公の行動動機は妹であると説明されていますが、それにしては流石に気軽すぎる行動なのではないかと感じてしまいました。王様から金をもらう前にしたり顔でトリック解説をしてしまう13ページから14ページの流れも同様に気になります。

 ネームアピールによると『(このマンガは)詰め込み過ぎ』なのではないかということでした。細かいテーマを掘り下げて行けば少し重たいようにも思いますが、ぼく個人としては今のままで良いのならそれほど要素は多くないと感じています。それというのも、このネームの話は5ページから始まっても十分つながるマンガなのではないかと思うからです。それにシバさんはとても動きと力のある絵を描かれるので、この手のお話なら絵の力で十分に説明できるものが多いと思いました。

 確かに細かく見ていくと引っ掛かる部分もあるのですが、それを考えても素晴らしく格好よく、勢いのあるネームになっていると思います。繰り返しになりますが、このネームの主人公は非常に格好いいです。そして作者であるシバさんがそれをとても強く感じていながら描いていることが伝わってくるので、読者であるぼくも余計に引き込まれていきます。マンガとしても各ページにきちんと驚きや意外性が用意されていて、本当に先を読ませる力があるネームだと感じています。是非ペン入れされた完成稿を読んでみたいです。

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『彼女はトンボの肉の色』作者:ハミ山クリニカ

 非常に賢いマンガと思います。正直に書くと、それに尽きるマンガだと感じました。ただひたすらに賢い……。すごいです。

 冒頭で大人時分の主人公を見せていますが、その一方で主に描かれているのは小学生時代のエピソードです。モノローグは神視点をとりつつもどこか主人公の視点が混ざり合ったような語り口調で書かれているので(現代を舞台にしているので)、読者に不思議な目線を与えます。そしてその奇妙な目線が7ページから10ページにかけてを独白のように感じさせ、トンボを引き裂いてしまった主人公の心情を思い起こさせます。

 これは読者の視点として大事なことだと思うのですが、ぼくは(少なくとも現在の記憶によれば)一度もこのマンガで対象としているような虫殺しをしたことがありません。それが大きいのか、このマンガで描かれていることに対して心が動かされるとか、そういったものはあまりありませんでした。

 しかし、もし虫殺しの経験があれば、ネームアピールにあるように『本当に思いっきり傷つくことはなく、「昔を思い出して悲しんでいる今の自分」をエモーショナルに味わえるような話』になっているのだと分かる程にこのマンガは巧みに作られていると思いました。素晴らしい構成力、構造分析力だと感じます。凄まじい一貫性です。

 一方で『エモーショナルに――』という部分には強い疑問を感じています。というのも、何度このマンガを読み返してみても作者自身が虫殺しやその反省(悲しみ)を「エモーショナル」なものとして描いているようには読むことが出来なかったからです。この漫画の主人公は驚きを感じているにしても、すべての事象に対し自分なり(且つ、かなり的確な)の分析行い、その上で決着をつけており非常にフラットというか、あとくされを感じさせないのです。もう少し大雑把に書くのなら、この話から「トラウマ」を引き出すのは読者自身の経験にほかならず、マンガそのもの(あるいは作者自身)にはどこにもトラウマが無いように思えてしまいました。

 マンガとしての破綻が無いので、どうしてもこういう種類のコメントになってしまいました。素直に、ぼく自身の読み手としての力不足です。ごめんなさい。本当にマンガとしてすごく賢く、上手に作られているのでもうぼくとしては「すごい!」と手を叩くくらいしかできることが無い……。

 本当にすごいマンガでした。

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『時計塔は関係ない!!』作者:丫戊个堂(あぼかどう)

 実はTRPGをやられていた時から知っているのですが、相変わらずキャラを作るのがとても上手いように思えました。9ページという短いマンガですが、その中で十分に男の子と女の子の関係性とキャラが伝わってきます。空回りを続ける先輩とその様子をある種微笑ましくもヤキモキしながら眺めている女の子のラブロマンスは非常に需要がありそうです。

 また、ネームアピールによると想定しているのはミステリ系雑誌の読者であるとのことですが、その上で『決して存在しない』舞台を描いているのも大変興味深いです。

 前作もそうでしたが非常に勢いとノリの強い冒頭を持ってきていますね。それなのにこの漫画のもつ世界観を説明できているのでとても良い冒頭だと思いました。今回のネームではかなりラフに描かれていますが、9ページを見るに、魅惑的な女の子を描けそうなこともあって非常にペン入れされたキャラクターが気になります。

 2-3ページを使っての見開きですが、タイトルがノド(中央部)に寄りすぎていて印刷すると見切れてしまう配置になっています。見開きを使う時にはできる限りノドを意識して構図を決めると良いのかなと感じました。

 時計塔からの手紙=挑戦状という等式や、時計塔=ギミックといったミステリのお約束を使ってあえてそこに乗っからないような形でラブロマンスを描いていくという設定の選び方がとっても面白いです。男の子が変にパワフルなのも良いキャラをしています。

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『青春の亡霊』作者:なないつ

 第1回ネームでもそうでしたが、なないつさんは面白い設定を作るのがとても上手な方ですね。ただの幽霊ではなく「青春の亡霊」という、ある意味字面だけでも面白い設定。今話題のトピックをナチュラルに作品で取り上げるのも驚きます。

 設定の面白さがある一方で、今回のネームはお話としてはまとまっていないんじゃないかなと感じました。一生に一度しかない青春期の思い出を社会的事情によって否応なしに取り上げられた女子高生と青春の亡霊とがリンクして、自分たちの青春を今の時代に見合った形で取り返すお話なのは分かります。ですが、ネームだけを追っていくとむやみに着け外しされてしまうマスクや12ページから13ページのつながりがかなり不明瞭なこともあり、最終的にどういう話だったのだろうと疑問を持ちました。

 「流し読みできるか」という視点に立つと、物語的に意味がなくやたらと着け外しされるマスクの為にかなり目が止まりました。

 ネームアピールにある『「マスクをつけることが日常となった世界では、表現は変わるのではないか?」』というのはもちろんそうかもしれませんが、そこを出発点として『「ニューノーマルな漫画表現」として』描かれたのがこのネームなのだとすると『やはり目だけで演技させることは私の画力では難しく――(中略)――独自ルールを設け』たというのはあんまりだと思います。

 自分ルールがどうこう、という話ではなく、コロナによって表現は変わるのではないか? という所から始まったはずのマンガで『目だけで演技をさせることは私の画力では難し』いからと言ってマスクを外して良いとするのは絶対に違うはずです。目での演技が難しいのであれば、別の表現を模索することはできなかったものだろうかと考えずにはいられません。仮にこの独自ルールを許容するにしてもアピール文にある『ニューノーマル』という言葉の意味やそれの示すものがネームの中では示されていないため、どんなに感が鋭くてもマスクを外す意味については解らないと思います。

 自分独自の表現をそうと断ることや説明をすることなく当然のものとされてしまうと、読む側としてはかなりの戸惑いを感じてしまいました。

 さて、物語の前提となる設定がめちゃくちゃ面白いので、ネームの中であまり説明されていないことやつながりの悪いところが変わればさらに面白くなるのではないかと感じました。ぼくの感覚からすると、マスクの有無ではなく、夏祭りが無いことや青春っぽいイベントが自分たちの問題ではないのに無くなっていること自体がかなり「今」を感じさせるものだと思います。なので、そこにもっとフォーカスされた物語でも楽しそうだ! と感じました。

 彼氏もいないのにtiktokで自分を盛り続ける女の子や、気だるげでありながらもその子に付き合っているお友達はとてもキャラクターになっていて非常に可愛らしいです。

 正直に書かせてもらうと現状のネームでは何が何だかわかりませんでした。物語として一番補完が効かなかったのは12→13ページの流れで、テレビの取材とサプライズ花火を見られたことがどうつながっているのかがもう少し分かればよかったなぁと思います。

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『GO STRAIGHT @アキハバラ』作者:畑こんにゃく

 想像力の羽ばたきをここに見た! といった壮大なネームでした。非常に面白い。

 5ページの『オレはそのこの イチョウだ』は「そこの」の誤植でしょうか?

 「50を超えたおっさんが引退してしまった商業メイドの影を追いかけてVRゴーグルをかけながらタピオカミルクティーを飲んでいる図」なんてものを想像できた時点で勝ちだろ! って言いたいくらいの凄まじさでした。欲を言えば、おっさんの年齢は早い段階で明確にしてもいいんじゃないかと思います。

 イチョウの木の精霊として少年がこんなおっさんに「メスがいねぇ」と相談を持ち掛けるシーンはシュールな面白さがあります。また、12,13ページの見開きもそれまでこれと言った大ゴマが無かった流れの中で現れるのでとても迫力がありました。

 全体を通して精霊君のストーリーは完結したように読めるのですが、おっさんの側に関しては変に精霊君で満足しているように見えて、冒頭でのメイドさん話やVRゴーグルのギミックの回収が少し弱いのかもしれないと思います。

 男の子のちょっと食い気味なんだけど生意気な感じが可愛くて良いですね! 少年を愛でる話として読んでほしいとのことでしたが、比較的そのように受け止めやすいのではないかと思いました。

 6→7ページの『諦めが肝心だ』→『枯れんなよな オッサン』は結構いいシーンだと思うのです。が、どの台詞を誰がしゃべっているのかが少しわかりにくいと感じました。どちらかのコマで精霊君とおっさんとが二人とも映るシーンを入れるだけでも通りが良くなるのではないでしょうか。

 ラストシーン、50を過ぎたおっさんが涙を流しながらタピオカミルクティーを飲む、めちゃくちゃ良いシーンだと思います。ですが、今のネームだと店員が『コイツまた買いに来たよ……』と思っている演出があるので、読者としておっさんの成長が隠れるような感覚があります。以前はゴーグルをかけて、メイドさんの影を追いながら飲んでいたタピオカミルクティーも、精霊を送り出した今となっては一味違うものとなっているというシーンだと解釈しているのですが、そうだとするのならばもっと大胆に演出しても良いのかなぁと思いました。例えばの話ですが、『また買いに来たよ』と店員がおっさんに声をかけたものの、おっさんは何かを悟ったようにしてタピオカミルクティーを買わずに立ち去る、くらいに舵を切ったらどうだろうか、と気になります。

 何でしょう。結構悲壮感あふれる話だとは思うのですが、おっさんが結構気軽なのと少年のストーリーが良い感じに解決されることで不思議とさわやかな読後感を味わいました。6ページ右下のコマなど、ペン入れするときには時間がかかるだろうなぁというコマもいくつかありますが全体としてはすごく面白かったです!

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『たのしい週末』作者:藤原白白

 ミステリ(日常の謎系、と言っていいのでしょうか?)として、読者にミスリードを促す初めの謎と、主人公の情動に関わる本当の謎を用意する二段構えのストーリーで非常に読みごたえがありました。今回の観点として「流し読みできること」を挙げたのですが、これをミステリものに適応するのは違う気がするので、その点については「読みやすさ」で代替したいと思います。

 ミステリの要である「無駄のなさ」は16ページという必要最低限しか描けない形式と相性が良いのかもしれませんね。ミステリ系の雑誌に載っているのであれば読者はそのつもりで読むでしょうし、ネームアピールに書かれていた『最後に新キャラが出てくるのは読み切りとして有りなのか?』はアリだと思います。それは冒頭でキチンと謎の種を巻いてあることでミステリ的な回収としてそれさえも楽しめるからです。「あれ、メインの謎は解決したけど、あの情報は全然かかわってこなかったな?」と感じているところへネタ晴らし的に最後のページが来るのでむしろ非常に楽しめるポイントだと感じました。

 一方で同じような観点から見ると、少年が珈琲を入れるシーンについてはミステリ的に無駄なシーンになっているような気がしました。グアテマラのマメが少なくなっていてそれに言及するような台詞が入ると、それが宅配便へのフラグになるなどしてより無駄のない綺麗なミステリになるのかもしれません。――今読み返して考え直したのですがコーヒーは謎解きではなく、主人公の『ぞくっ』に対する演出だったのですね。ネームではコーヒーの入れ方にコマが割かれていないことや、少年が『グアテマラ……っと、この辺かな?』と詳しいんだか詳しくないんだかわからない様に読めてしまって主人公が『ぞくっ』を感じるほどの説得力が出ていない様に感じたのかもしれません。

 キャラクターが和気あいあいとしていて非常に楽しいのですが、少年とマスターのブレが少ない分メインキャラの主人公が多少挙動不審に見えてしまいました。6ページが特に顕著だと思うのですが、主人公が物思いにふけろうとする際にきちんと邪魔を入れた方が読者の視点からは自然に読めるのではないかと感じます。主人公が『ぞくっ』と感じたことが気になった後、『そうだな… どうせヒマだし…』という台詞の出てくるまでがあまりにスムーズで、「あれ? ここは主人公にとって大事なとこじゃないの?」と感じました。

 あくまでぼくが読んだときの感覚の話ですが『? 何だ? いまの「ぞくっ」――』と考え込もうとしたところに、少年から「どうですか、オニイさん」などと言葉を挟まれた後に『そうだな…――』へ繋がるような流れが欲しいと思いました。

 あと、13ページはミステリの見せどころのはずですが『――遅刻対策で』のあたりからどれが誰の台詞か分からなくなってしまいました。縦に割った三つ目のコマの台詞は吹き出しが右隣りの枠にはみ出ていることと、そのすぐ脇に少年の顔があることで少年の台詞に見えてしまいますが、その後の台詞を読むと主人公の台詞でも通りそうだし、主人公の台詞で通りそうにも見えました。

 一つのメインである主人公の発見は少し見せ方が弱いのではないかと感じています。ネームの中で複数種類の『ぞくっ』があるように見えるので、結局この主人公にとってメインの『楽しい』がぼくには読み解けなかったのかもしれないです。

 いやぁ、でもミステリとしてとてもキチンとしていて普通に謎解きを楽しめてしまいました(笑) アピールで気にされているように少し詰め込み過ぎな感じがあり、その上で主人公の話が弱いように見えてしまったので、ぼくならばという仮定の話ですが、15ページを主人公の語りに使っていたかもしれません。

 それにしてもめっちゃちゃんとミステリで楽しかったです!

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『最強戦士 二才』作者:かずみ

 やっぱり線に力があって、非常にキャラクター(人物・非人物問わず)が可愛いです。1ページから2ページにかけての、いい意味で読者を裏切る出落ちも面白いですし、本当に二歳児が戦っているという設定も意外性があります。

 二歳児としての描写もすごく”ぽさ”があってかわいいです。パートナーが異世界の住人というのもすごく絶妙で、この設定があるので二歳児が戦うことに対する心理的なハードルが下がっているように思えました。

 一方でこのお話の一番大事な展開である、ネッコの堪忍袋の緒が切れる7ページのシーンは実際に子供がいる人にどう映るのかかなり気になるところです。場合によってはこのシーンがあるというだけで中身に関係なく読むのをやめる人もいるのかもしれない様な気がしました。

 舞台設定やストーリーが非常に面白い反面、ネームアピールにあるように『「信じるって無敵」という話を作るにあたって、このストーリーが妥当か』と聞かれるとかなり微妙なラインだと感じました。

 第一に2歳児の言動に対して「あれはそう信じているから行う行動なのだ」と評価を下すことのできる人は実はかなり限られているんじゃないかという点、第二に2歳児という設定によって『信じる』ことに付随し「無垢さ」や「純粋さ」など、『信じる』以外の概念が付きまとってしまうのではないかと感じる点が気になるからです。とはいうものの、二歳児という設定によって無理が無理に見えないシーンもかなりあるように思えるので非常に難しいところだと思います。

 マンガとしての演出は全体的にかなりきちんと成功していると感じました。1~2ページの意外性もそうですが、7~8ページで一人飛び出したネッコがやられてしまう演出、10ページにあるヒーロー感あふれるピンチでの登場に加え、二歳児が目をふさいだ後で暗闇に包まれる11ページなどは自然と演出に導かれるまま読むことが出来ました。12~13ページの解説臭には多少の違和感もありましたが、そんなものはどうでもいいほどに読まされてしまうマンガになっていると思います。

 14ページの一枚絵とネッコの呆気にとられた表情もとてもいいです。

 あれこれ書きはしましたが、最終ページで明瞭にテーマを語っていることもあり、最終ページまで読むとはっきり『信じるって無敵』だと伝えたいんだな、というのは読者に分かる作りになっていると思います。何より、線の可愛さやキャラクターの造形、適度に入り込む気持ちの良いコマ割りのために読ませる力のあるマンガになっていると感じました。

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『ラスト・サキュバス』作者:コバヤシ

 まずは、ご自身の絵柄から女の子の魅力がカギになる「サキュバス」をピックアップしたこと、作劇に躓く過程で(おそらく「老若男女」という言葉からの連想だとは思うのですが)「水戸黄門メソッド」を採用したカンの良さに脱帽です。そしてちゃんと女の子は可愛いし、読んでいてスカッとするストーリーになっているしで二度驚きました。

 なんかもうこの戦略性に驚いていて、なんも言わなくていいんじゃないかという気さえするのですが書きます。

 これは単につまらない突込みなので読み流していいのですが、街の主であるカール・キルシュテンが生きてるならまだ『ラスト・サキュバス』になっていないのでは? と思いました。主人公が男性に興味ないということで結果的に『ラスト・サキュバス』になるんだってことはもちろんわかるので単なる突込みです。これくらい軽い切り口から入らないとコメントが難しいのです。

 強いて言うなら2ページの流れが多少不自然でしょうか。1ページの『もー疲れた』を最大限に生かすのであれば、回想的に『狩り』に乗り気でないシーンが入っていても良いのかもしれないと思います。そうですね、冒頭でのキャラが若干弱いと感じているのかもしれないです。まあ、ここで回想を入れて流れを良くするとオチが弱まるので全然このままでもいい気もするんですが……。ネームのままでも2ページ3コマ目までは自然な流れなので十分つながるようにも思います。

 4ページの演出ですが、クォーターのサキュバスが出てくる前に主人公の思案するコマが入り込んでいるのと、下種男がハイパー下種になった後に主人公のカットインが入らないことがあって6ページでの主人公が結構唐突に映りました。主人公の地雷ポイントが分からなかった、と言えばいいのでしょうか。

 それ以外は特にいうことないです。マジで。

 まがうことなきエロであると思うんですが、作画レベルを調整して単にエロいだけのマンガにはなっていないし、ストーリーの中で男性性による暴力的な性消費を否定しているし、主人公は女の子好きだしとフォローもかなり効いているのでおそらくきちんと男女問わず幅広く読むことが出来る作りになっているはずです。

 すごい!

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『洞川スズ』作者:シギハラ

 一歩踏み出したいのに上手く踏み出せない感じや、やりたくないのについやってしまう感じが良く出ていると思います。『心なんて読めなければいいのに』と言っているのに冒頭ではきちんと『(心が読めるのは)とても便利だ』と語らせていて、ある種非常に都合のいい、人間のエゴみたいなものが描けていると感じます。

 主人公が冒頭で会話をしている友人に対してかなりドライなのが少し可愛そうにも思えますが、先ほども触れたようにすごく人間らしいエゴを持った主人公のようなのでそれもアリなのかも……。ただ、今のネームの終わりが結構いい感じの話になっているのでそこと比べてしまうと少し主人公が冷たすぎるようにも思えました。

 主人公の異能をモノローグで語るのもいいのですが、物語の根幹にかかわる大事な能力なのでもう少し盛大に演出しても良いのかもしれません。1ページの1コマ目では横長のコマに三人が並んだまま心情吹き出しとして処理されているだけなので、すこしパンチが弱いように感じました。主人公の目線になって人の心を覗き見ているような感覚になるコマがあれば良いのかもしれないです。

 2ページから3ページにかけてつながるモノローグですが、読んでいて少し間の空きすぎているような感覚があります。おそらく2ページの『でも』と3ページの『みつきちゃんは、いつも怯えて』の間に「いじめられっ子と同列に扱われて怒ってしまう主人公」という、モノローグとはまた別の話が挟まっているからだと思います。

 今のネームだと三人が比較的等距離で並んでいますが、もしかすると3人の特色を反映してそれぞれがバラバラの距離感で歩いていたりすると言葉で説明する以外でもキャラクターの性質が読者に伝わるのかもしれないぁと感じます。ずっと下を向いているだけでも十分かもしれませんが、5ページでは慌てて手を伸ばすことが重要なトリガーになっているようなので距離などの要素が絡んでいるとつながりが深くなるのかもしれません。

 うーむ……。正直、最後は「え、これで終わり?」という感じがしてしまいました。

 主人公が冒頭から抱えていた『小説の話をしたい』という目的は確かに達成されているのですが、今のままで終わってしまうと結局人の心を読んだ結果思い切って話を切り出したら小説の話ができた、という風に見えてしまいます。

 『その人自身をちゃんと見てあげないなんて、ひどいよね』とは4ページの台詞ですが、ハンカチを差し出してくれているのを差し置いて、人の心を読んで言いたいことを言うのが『その人自身をちゃんとみて』いることになるのかなぁと疑問を持ちました。エゴだけを描いているのならこれでも良いように思えるのですが、ネームアピールに書いているような『トラウマにとらわれている人がそれを抜け出していくような話』にはなっていないのではないかと感じました。

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ケルベロスの初めてのお休み』作者:盛平

 作者の好きなものを詰め込んだんだなぁというのが良く分かるマンガでした。

 全体の中でつながらないところがあるのはそうだと思います。ですが、物語の一番盛り上がるべきところである7ページから11ページまではきちんと盛り上がりを感じますし、ここで描こうとしていることは読者にも伝わっているはずです。

 正直、一読者であるぼくとしてはこのネームを読んで、7ページから始まるようなテイストでまとまった話を読んでみたいと感じたのですが、もしかすると作者としてはこの手の話をあまり描きたくないのかもしれないとも感じます。ある種の軽さを保ちながら、7ページから11ページまでのような話を物語る方法もあると思いますし、盛平さんならそれができると思うので、そこを探るのも良いのかもしれません。

 今回のネームは、しつこいようですが7ページから11ページがメインとして作られているように見えました。その視点から行くとやはり、冒頭と終わりはメインとのつながりが無いように読めてしまいます。

 1,2ページは世界観説明だと思いますが、全体を見てみると大事なのはケルベロスに仕事があることだけのように見えました。それ以外の、魂を捕まえているくだりや「来るもの拒まず去るもの拒む」の設定は後半と関係がないので要素としては不要に映ります。

 作者である盛平さんが何を伝えたかったのかにもよるのですが、ぼくは生者の世界のお姉さんが出てきてパンを落とすくだりはとても唐突に感じました。読んでいて「あぁこのオチにつなげたかったのか」といった、作者の事情のようなものが透けて見えてきてしまったので削ってもいいように思えます。

 ユメカワ女子の下りも1ページ使っていますが、今のままだとコレがハデス様の思いやりであることが表に出て来ていない様に読めてしまい、「なんで急にこんな展開に?」と感じてしまう人が居るのではないかと思います。

 このネームで描かれていたある種の主従関係というか、「弱者に手を差し伸べた強者が、取り返しのつかないこととはわかりながらも、過去を振り替えってその暴力性を反省する」話はめっちゃぼくの心に来ます。いわゆる、光対闇的な構図も非常にオタク心をくすぐられるチョイスです。盛平さんの絵はとても素敵で魅力的ですし、是非、伝えたいことを整理してペン入れされたものを読みたいです!

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『危険なマイゴ』作者:motoko

 大変申し訳ないのですが、ぼくの専門が農学であることもあり、特定外来生物などに関する知識は、いわゆる一般の方よりも豊富であるという前提を考慮して以下のコメントを読んでいただければ思います。

 すごく密度が高く濃厚なネームでした。取り扱っているテーマも社会性が高く、メッセージ性が強い内容でありながらもファンタジックにすることで読者の間口が広がっているのではないでしょうか。

 とても読みごたえがある反面、16ページのマンガとしては少し要素が多いのかもしれないと感じました。全体を通してみるとケイタの成長は比較的描けているように思えましたが、主人公の心情変化や題材になった『無念さ』が多少置いてけぼりを食らっているような印象です。主人公の心情変化は台詞などで言及されているものの、正義感が強い一方で父親に相談しなかった理由や、モドキに対して肩入れするような理由がまだ弱いように感じてしまいます。

 外来生物による多種多様な問題はそれだけでなかなか大きなトピックであるはずなので、それを軸にするのであれば主人公かケイタか、どちらかの要素に絞った方が中途半端にならないのではないかと思いました。ご存知かもしれませんが、現実で特定外来生物を駆除する際には動物愛護の観点からできる限り苦しまない様に配慮しなければいけないことが動物愛護管理法などによって定められています。このネームで描きたいことにもよるのですが、もし現実にある外来生物の問題を取り扱いたいのであれば、もう少し表現を変えた方が良いようにも思えました。

 マンガ的要素に関してなのですが、やはり3ページから4ページにかけてのモノローグ『あれは確か』と『関わっちゃいけない』が読者の視点から見たときに?マークなのではないかと感じます。5ページのモノローグまで間を開けることで、主人公の決心のつかなさ、やらなくてはいけないと思ってはいるもののどこか後ろめたい思いもあるという表現として受け取ることもできるのですが、どうしても少し離れすぎなように映りました。

 このマンガで一番コマの大きいのは『グリピドス』の登場シーンで、このくだりに2ページ使われていますが、グリピドスはモドキの幼体がはぐれていることの説明しか役割がなく、ここまで大事に扱わなくてもいいのかもしれません。ケイタがモドキを家に連れて帰るシーンを挟み込み。グリピドスとのやり取りなどが挟まれれば役割も増えると思いますが、16ページでそれを取り扱うのは難しいのではないでしょうか。

 複雑なことをやろうとしたネームだと思います。それでもできる限り筋道を整理し、読者に驚きを与えるような展開をこまめに挿入することで、読みやすさと「先を読みたい」という気持ちをある程度コントールできていたのではないかと感じました。モドキの造形も、あえて人型に近づけることで主人公と同じ葛藤を読者が持ちやすいように工夫した結果なのではないかと思います。兄弟の描写もすごく愛らしいですし、そういう点でも人間ではない生き物に対する複雑な思いを描く上で優れていると思いました。

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『となりの隣のおじいさん』作者:のり漫

 相変わらず面白いですね! とだけ言っても仕方がないのかもしれませんが、今回のネームは面白さがありながらもそれだけじゃない、どこか不思議な読後感のあるお話でした。

 面白さについてはマンガの主人公である夫婦二人の言動が自由で楽観的ながらも、どこか人間味のある気の使い方をしているところから来るのだと思います。ふたりで文句を言い合いながらも結局は喧嘩にならない安心感も大きいのではないかと感じました。第1回課題の講評を受けて、登場人物の表情やリアクションをはっきりと書いてあり、多少流し読みをしてもそれなりに物語の動きを追うことが出来る作りになっているようにも思えました。

 これはモデルとなった人物がもともとそういう人のなのかもしれませんが、このネームに出てくる人はみんなキャラが強くて楽しいです。一番キャラが薄いのは警察という、なかなかないマンガなんじゃないでしょうか。

 一番メインとなるおじいさんのお話でコマを大きくし、ストーリー漫画テイストにしているのはすぐれた戦略なのではないかと感じました。おそらくこのことから来る読み方だとは思うのですが、流し読みした時にはおじいさんの話が前面に押し出されて少ししんみりとするお話に読めるのに、じっくり読み直すとそこに面白さが加わるという不思議なネームでした。

 ネームピールでは『ナレーションを入れることで、現在から過去を客観的に見ているようなトーンになるよう工夫しました』とありますが、正直この点についてはあまり機能していないのかもしれません。ぼくは普通に物語と共に時間が進んでいく、現在進行形のお話として読んでしまいました。ですが、客観視点であるかどうかとこのマンガの良さはあまり関係がないようにも思えます。

 ぼく自身がエッセイ漫画のお約束をあまり知らないので気づけてないことがあると思います。申し訳ないです。それでも非常に面白く読ませていただきました!

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『勇気のかたち』作者:つまようじ

  初めてクラス担任を任されたという、思い込みが激しくて前のめりな田中先生はきっと生徒思いの先生なんだろうな、と面白く読みました。少しずれたことをしてしまう山田さんも、ビジュアル的にインパクトのある可笑しさを見せてくれるのでとても楽しかったです。

 ぼくがギャグマンガに馴染みのないこともあって、正直に書かせていただくと、このネームがギャグマンガとして読むことが出来るのかどうかは解りませんでした。一方で、マンガでコント(漫才?)をやろうとしているのだな、と思って読むと非常にすっきりとして見えてとても楽しく読むことが出来ました。

 主人公教師と山田さんの、掛け違いながらも前に進んでいってしまう会話や、突如立場が逆転することで物語が転調して「良い話」へ舵を切っていく感覚など、舞台に近いものなのではないかと思いました。その中で現実ではなかなか使うことできない、鉄棒の上に棒立ちする子供と大人という図や、べらぼうな量のクッキーという、マンガならではの過剰なギミックが非常に面白かったです。

 (コントをやっているのだとすれば必然なのかもしれませんが……)読んでいると、場面転換というか、主人公の移動表現がすこし分かりづらいなぁと感じる点が複数ありました。1ページの校長室から校庭へ移動している場面、6ページの廊下から校庭へ移動している場面、9ページの先生が鉄棒へ上る場面などがそうでした。

 引きの絵が少なく、登場人物の位置関係の分かるコマが少ないこともあって、例えば1ページなどでは校長室から飛び出して校庭へ走る先生のコマがあると読みやすいのではないかと感じました。9ページの最後のコマも、オチにつながる大切な所なので鉄棒全体をコマに入れて、もう少し分かりやすく先生の動きが描かれていてほしいなぁと思います。

 ギャグと良い話を描く、というより、笑いと良い話を描く、という意識でいると面白さとハートフルな話が両立できるのではないだろうか? とある種の可能性を垣間見ることのできるネームでした。ここは作者の方が何を描きたいかにもよる部分なので難しいのですが、ぼくの感覚としてはギャグをやっているというより、コントをやっていると言われて読む方がこのネームでやっていることがすっきりと理解できる感覚があります。

 何をどう見せようと考えてネームを描いているのかがすごく伝わって来る作りになっていて、とても作者の意図を掴みやすかったです。ネームアピールでは『駄作』という言葉をお使いになっていますね。もちろん、今回のネームで上手くいかなかったことがあり、ご自身として不満に感じているような部分があるのであろうことは解ります。ですが、今回のネームは限られた期限内にやり切った仕事として十分に自信を持って良いネームなのではないでしょうか。生む苦しみはあるのかもしれませんが、また、次の作品を楽しみにお待ちしています。
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『梨沙と梨奈』作者:片橋真名

 このマンガで一番描きたいところにベールがかぶされているようにも思え、読後感はかなりさらりとした印象がありました。

 少なくともぼくにとっては、という言い方しかできませんが、物語のスタート地点である4ページの『そんなのずるい!』に重さを感じることが出来なかったことが原因の一つだと感じています。主人公の行動を、あくまで独り相撲であるようにしか理解できなかったというほうが近いかもしれません。今のネームのままでは13ページで妹が泣き出してしまう理由や、9ページの『……身体の一部だと思ってたのに、ね』の重さが読者には分からないのではないか、と言い換えても良いです。

 9ぺージの『私は何に 怒ってたんだっけ』が一番の転換点になるはずですが、正直このネームに描かれていることだけを追っていくと、キャラクターが何に怒っているのかが本当に分からず、物語に入り込むことが出来ませんでした。

 11ページにある『おんなじだと 思ってたのに』という部分がこのマンガにはほとんど描かれていないように読めてしまいます。3ページ左上のモノローグからはあくまで「周りから双子だと言われて特別感を得ていたはずなのに、途中から自分だけ下に見られていることに気付いて憤った」という描写しか読み取ることが出来きませんでした。基礎となるこの部分が物語の根本とずれているように感じてしまい、上手くカタルシスを得られなかったのだと思います。

 また、12ページの最終コマは、中段のコマでコップのようなものが入り込んでいることや下段右コマで回想が入り込むこと、そもそも電話をかけようと決心した姉のシーンが描かれていないことなどから、どちらの背中なのかパッと読んだときに分かりにくかったです。

 主人公の行動や思考はとても一貫して描かれていて、とても誠実なキャラクターだと感じました。独り相撲ではあるのだけれど、そうならざるを得ないのが読者に伝わって来る作り込みが出来ているのではないかと思います。コマの使い方、変化の使い方もやはりとても上手でマンガのテンポと演出があっているのでスムーズにページをめくってしまいます。描こうとしていることも非常に感情を揺さぶる内容で、つながるべきところがきちんと接続されていれば、読んでいて思わず泣いてしまうほどに人の心を動かすことのできるマンガになるのではないかと感じました。

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『死角い視覚表現』作者:くたくた

 ある人の正義とまた別のある人の正義はそれぞれ互いに独立して成立していて、それがぶつかる様を描いている面白い内容でした。メインとなる二人が高校では同級生で、いわゆる大学デビューをきっかけにすれ違い合うというのも良い演出なのではないかと感じます。

 全体を通して「ギミックをどう使うか」ということばかりが先行していて、これネームがどういうマンガに仕上がるのか読んでいても分からない感じが強かったです。

 物語の駆動力としてピアスを用いること自体はすごく面白い発想だし、マンガ的にもビジュアルでわかる良い選択だとは確かに思いますが、すくなくとも現時点のネームでは単に発想としてそれがあるだけで、物語の要請に十分応えきれていない印象があります。それはシンプルに、マンガとして読みにくい部分があるからなのかもしれないですし、もしかするとプロットの段階で上滑りしているからかもしれないとも思います。

 マンガとしては、1ページの1コマ目で写真を見せているものの、それが自分で撮った写真なのか誰かの撮った写真なのかが分かりませんでした。また、2ページでは『黒森』さんが重要キャラクターなのは解るものの、3人いるうちの誰が黒森さんなのかは4ページまで確定することができず混乱してしまいます。

 4,5ページを使って印象的に演出されているシーンも、黒森が何を見つけたのかや何を撮ろうとしているのかがはっきり描かれておらず、よくわからないというのが正直なところです。オチのシーンも同様なのですが、物語的にも4,5ページがあるからと言ってどうなっているのかが分からず、単に「よくわからないページが2ページあったな」と感じてしまいました。

 今のネームで描かれていること、描こうとしていることを部分部分で取り上げるととてもエモーショナルで、青春期を超えた多くの人の共感を誘うようなことが描かれていると思いました。しかいその分、つながりの悪さや、必然性の無さが余計に目立ってしまったのではないかと感じています。

 「面白いのに、もったいない!」というのが今回の本当に正直な印象でした。

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『探索者たち』作者:柴田舞美

 現実を舞台にひと匙の非日常を添えるような、ワクワクするネームでした。

 お使い型の物語ですが、探索者たちを三人組にして各々の性格や役割が明確に分担されていたので非常に分かりやすく読み進めることが出来ました。部屋の様子を小人たちが論理的に分析していく様や、最終的にはその分析とは全く関係ない意外な場所から『ゲンセンなんちゃら』がみつかる展開は部屋の中でよくモノを失くしてしまう自分を思い出して苦笑をもらいしつつも面白かったです。

 お使い型ということで物語の筋がきちっとしており、大ゴマもそれに合わせて配置されていたので、さぁっと読み飛ばしてみてもどういう流れや展開と決着があったのか分かりやすかったのではないかと思います。

 一方で盛り上がりの幅という意味では少しこじんまりとしていたのかなぁという印象もありました。もちろん、今のままでも小さな非日常を楽しむマンガとして十分に読みごたえがあるのですが、より非日常を際立たせることもできたのではないかと感じました。そういう意味で言うとチラ見せでも部屋の主人を登場させて欲しいなぁとも思うのですが、ネームアピールを読むに、できればそこは避けたいようです。小人たちが非日常の存在であることをもう少し直感的に理解するために、二項対立的に機能する生き物が登場していても良いのかなぁと感じました。

 また、10円玉やハサミ、洗濯ばさみなどで小人たちのスケール感が分かるように描かれてはいるもののより分かりやすく小人であることが分かる絵があると良いなぁと思いました。というよりも、小人たちが日常に溶け込んでいるシーンがあると小人の存在をより肉感的に感じられた気がする、と言うのが良いでしょうか。

 今回のネームの中では3ページ下段のコマが一番それに近いことやろうとしているように見えました。少し入り組んだ話をしてしまいますが、ここでは意図的に小人が目立つ線で配置されています。そのために小人たちは日常から独立して強い存在感を持っているように読むことが出来るので「この世界に人間がいるのだとしたら、これだけ存在感のある小人に気づいていないというのは少しおかしいだろう。だからきっと小人なんていないのかもしれない」と感じてしまい、逆説的に小人の存在を信じにくくなるように思えたのです。これはこの手の話の場合に引きの目線が来ると、それが読者であるニンゲンの目線と重なるような錯覚が生まれるからだと思います。

 話のほとんどが小人目線のカメラワークで進むために、引きのカメラが導入されるとそこに別の生物の息吹を感じるのです。俯瞰図のことを鳥瞰図と呼ぶ感覚に近いのかもしれません。つまりは、引き=読者の目線から見てこんなにも存在感のある小人をぼくは見たことが無いので、きっとこれは「嘘」の存在なのだと、少し物寂しくなってしまったのです。

 一方で8ページの引きは同じ引きでもニンゲンではなく、小人目線的な引き、あるいはニンゲンであっても子供的な目線での引きになっているのでとても素敵でした。

 それにしても、こうやって小人たちが探し物を探してくれていると良いですよねぇ。最近、よく消しゴムを失くすのでぼくの部屋にも『探索者たち』が来てほしいものです。

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『キスの練習』作者:桃井桃子

 歳の差カップリングのド王道といった感じのネームでした。もちろん八重歯とダサカワシャツも欠かさずに。ツインテールのリボンと制服のリボンのリンクも良いですよね。

 8ページという短い中で百合カップリングに必要な要素を過不足なく詰め込んでいる感じがして、アンソロジーという媒体を意識したものとしては優れているのではないかと思いました。ですがその一方で「百合は好きだけどアンソロジーを買う程ではない」といった層や「アンソロジーを買ったもののとりあえずこの話だけ単体で読んでみた」という場合には少しお話が短く感じるのではないかなぁとも感じます。

 『幼女(りりん)のお姉さん(希江)に対する恋心を描写すべきか悩ました。』とのことですが、是非、その描写も読んでみたいです。王道的には幼女のお友達が出てきて相談する、という形などになるのでしょうか。『これからはじまるぞ!』的な締めは流行を観察した結果の意図的なものだということなので、幼女がお姉さんの部屋のドアを叩くまでに決心を固めた場面などを読みたいなぁと感じました。

 物語の流れとしては5ページの下段右コマに少し違和感がありました。ここまでに見られるお姉さんの描写は、急に部屋に入り込んできても幼女の話をきちんと聞いてあげて、突然キスをされても『自由過ぎる……!』と呆然としているシーンであり、特に幼女のことを意識しているように思えなかったからです。なので、5ページで『ブツブツ』と自分自身に言い訳しながら演劇を見に来る理由が特にないように思えました。

 百合アンソロジーを読むような読者であれば、「それまでは単に少し年の離れた仲良しのお友達としてしか見ていなかったのに、キスをされたことで妙に意識をしてしまって自意識過剰になっているから『ブツブツ』言うしかないよな!」などの妄想補完もできないことはないとは思うのですが、ページにも余裕があるので無理に描写を省略しなくてもいいのではないかと感じます。

 第1回課題のネームでもそうでしたが、キチンと百合百合をしている百合を描けているので、そういった意味で非常に力を感じるネームでした。百合の文法を良く知っているしその取扱い方も熟知しているような印象を強く受けます。第1回講義の中で『女の子同士の話を描いたがこれは男女、男男の組み合わせにしたら話が大きく変わってしまうのか気になる(要約)』というお話をされていましたが、一度、百合の構成をそのまま受け継いだような男男もの、男女ものを描いてみても面白いんじゃないかと思いました。というより、桃井さんの描かれる男男もの、男女ものを是非読んでみたいです。

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『告白』作者:うめていな

 時と共に、あるいは目にも見えないような小さい変化と共に揺れ動いてしまう、些細なんだけれども大きな感情の揺らめきが丁寧に描かれており、感動して読めました。『メリーバッドエンド』がど真ん中、ということで確かに一口に「良かった」と言える物語ではないのかもしれませんが、マンガの中でキチンとそのエンディングへ向かう理由、向かわざるを得ないような環境がセッティングされているので、いわゆる「投げっぱなし」のような印象は殆どありません。各々の読者に各々の読後感を与えるマンガとして作られているのではないでしょうか。

 8ページに描かれている、男子生徒の台詞を頭の片隅で聞き入れながらも、ついつい自分のことを考えて安心してしまう造形などは本当に繊細で美しいとさえ感じてしまいます。一方、モノローグの時制が描いている場面に引っ張られてしまうことで通りが悪くなっているようなところがあるのは確かですが、コマ割りにしても絵のチョイスにしてもマンガとして十分すぎるほどに成り立っていると思いました。

 主人公の気持ちや考えに対して周囲の振る舞いがずれている際に、心情吹き出し及び主人公の演技に加え、周囲の言葉を手書き文字で表し、乱雑な情報として後退させている3ページ上段のコマなど、本当に演出が上手いです。

 さて、1ページの1コマ目、主人公が窓から外を見下ろしているシーンだけでも主人公が教師であると分かるような描き方になっていると混乱が少ないのではないかと感じます。ぼくが初めて1ページを読んだ際には「あ、これは生徒と先生の禁断の愛を描いたマンガなのかな?」と勘違いしてしまいました。

 これは細かいことになってしまうのかもしれませんが、続く2ページ冒頭のモノローグ『彼氏だ』は『わたしの彼氏だ』の方が無難であるように思います。めくりで来るモノローグなので前ページとの関連を示した方が安全に読むことが出来るのと、そうすることで『ただいま ゆり』という台詞から主人公の名前が「ゆり」であるという情報の提示が出来るからです。

 2ページから4ページにまたがるモノローグに関してなのですが、4ページのモノローグが過去時制になっているのに対し、3ページのモノローグでは現在時制が用いられており、場面理解に少し戸惑った印象がありました。

 全体を眺めてみると飲み会のシーンと男の子の登場の仕方が少し浮いている感じがしてしまいました。例えばの話ですが、6ページから登場する男の子を冒頭であらかじめ登場させておいて彼氏の告白シーンを見てしまう場面につなげるなどすれば、男の子の描写とゆり先生の自覚とが6ページからの流れで一度に描けるのではないでしょうか。

 絵が可愛いのもあるのですが、9ページ下段のコマのようにとても印象的な絵を描くことができ、その絵に対して効果的な演出で魅せることもできているので非常に表情豊かなマンガとして読めました。

 ネームアピールにある『自分の中の大きなアンチ』は程度の差こそあれ、誰しもが持っているものであると思います。うめていなさんはとても素敵な力をお持ちですし、表現したいこともある方なのではないかと、今回のネームを読んで強く感じました。

 心から、うめていなさんの作品をお待ちしております。school.genron.co.jp

『雑種のケルベロスを飼っています』作者:高井焼肉

 上手く言語化してコメントに起こすのがどうしても難しかったので、申し訳ないですがひどく所感じみた書き方になってしまうことをどうかお許しください。

 さて。

 まずはなんと言っても「すごいのキタ!」といった雰囲気が強かったです。扉絵ではこれ見よがしにケルベロスの頭が隠されていて「雑種のケルベロス、気になるじゃろ? ――まだ見せませーんっ!」といった雰囲気が強いですし、後ろに控える女の子が謎にとても可愛いです。

 2ページにしても『貨物受取(ペット)』という字面がまず良すぎるのと、これぐらい描いておけば世界観が分かるだろうとばかりに様々なモンスターが描かれていて面白かったです。ここでもまだケルベロスの雑種の部分隠してるし! 3ページの『ハッ!』とか何がどう「ハッ!」なのか意味が分からな過ぎてとても良かったです。

 ドラえもんの秘密道具ばりに登場する『ソップ』もなんだかんだ言って3ページの描写があるために持っていても不思議じゃないかぁと思わされてしまいますし、テンションのまま押し切られて読まされる感覚がありました。

 正直、5ページとか、なんでケルベロスが逃げ出したのかいまいちよく分かってないんですが、それでも面白かったので何を言えばいいのかよくわからなくなってしまいました。あえて言うならこのマンガがどこに掲載されるのかぼくの経験値の中では全然わからないってことくらいしか……。異世界モノのスピンオフ的な内容になってればどこかあるような、ないような……。このネームで描かれている世界のペット雑誌とかにならすごく載ってそうな気はする……。

 ぼくの力不足です。ごめんなさい。でも面白かった。

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『レイトショー・ストーリー』作者:横たくみ

 ラブコメの波動を感じる……! 横たくみさんの描かれる女の子は非常に可愛らしいですね。見せるべきコマであるところの6ページ下段など、まさしく必要な場面で必要な絵の魅力が発揮されている点がとても素晴らしいし、それがこのネームの魅力なのではないかと思いました。これは断っておかなければならないことだと思うのですが、ぼくは『風と共に去りぬ』を見たことが無いのでそういう目線からのコメントになっています。

 登場人物が全員あだ名でコミュニケーションを取り合っているために固有名を意識させず、キャラクター(キャラ)が前面に押し出されているように感じました。第1回ネームからの改善を意識してのことなのかもしれませんが、もしそうだとするならば非常にうまく機能した改善なのではないかと思います。

 いわゆる漫符の使い方も巧みで、キャラクターの動きがとても愛らしいです。

 一方で、ストーリーを追いやすいマンガになっているか、という観点から行くとところどころかみ合わないところがあるのではないかと感じました。細かいところから書くと、1ページの最終コマ及びその手前のコマの時間運びに違和感があります。今回はネームということもあって間白(コマとコマの間の空白)が無いせいで余計そう見えるのかもしれません。同じく1ページ右下のコマについても間白の関係ですが、主人公の顔をもう少し右側に寄せてきちんとコマの中に収めた方が良い感じがします。ネームではほぼ左下がりの直線的に視線が誘導されていますが、二次式のような視線誘導を用いて読ませる方が『もうレイトショーの時間ですね』へのつながりがスムーズになる感じも受けました。

 ぼくの読み手力によるところだと思うので大変恐縮なのですが、間白のないネームだとどうしても完成稿になった場合に受けるイメージが異なってしまうと(ぼくは)思っているようです。そういう前提の元に出てきたコメントだと思っていただければ幸いです。

 4ページと12ページに共通する話ですが、主人公に別のキャラが話しかけるシーンがすこし唐突に感じてしまいました。どちらも同じような解決法になってしまうのですが、4ページでは中段左のコマをもう少し引きで描いて後ろをついてきている先輩をコマの中に入れてしまい、12ページではその手前の11ページ最終コマで同じく引きにカメラを置いて座っているさり夫をコマの中に入れてしまってもいいように思えます。15ページも同様なのかもしれません。

 爽やかでほんのりレモンの香りがするエンディングですね~。すごく、横たくみさんの描かれる女の子の線にあっているような気がします。もっと読みたい……。

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『「かわいそう」とは言わせない。』作者:ahee

 直接お伝えしたことでもあるのですが、泣きました。ごめんなさい。

 すごく作者を感じる作品でした。その上で「社会」として機能する女の子がきちんと描かれているので、作者が浮かび上がってきて読者であるぼくも作者と視線をかさねることが出来たのではないかと思います。そういう意味でこのネームで描いていたこととは真逆のことをしてしまっているので、冒頭から謝罪させて頂いた次第でございます。

 女の子の立ち位置が見えない中でいきなり『文鳥も死んだわ』と始まるので正直に書くと面食らった印象もあるのですが、それでも読み進めていくにつれてドンドン引き込まれてしまい、結局最後まで読んでしまいました。

 主人公は一貫して標準語を話す一方で、社会を担う女の子が方言でしゃべり続けるというのがとても良かったです。いわゆる普通という言われている価値観を方言で語らせることによってそれすらもムラ社会的な常識に過ぎないと思わせる効果があるという他に、感情的な演技は方言との相性がいいのではないかと感じました。

 一方でいまいち意味の取れないところがあったのも事実です。これは作者と話していてわかったことなのでアレなのですが、ぼくは10ページで描かれていることを丸ごと勘違いして受け取っていました。ぼくはここを、「死者に対して一方的に共感を示して『かわいそう』だと決めつけるお前に看取られることこそが可愛そうだ」という皮肉だとして受け取っていました。

 9ページの最終コマは5ページ最終コマの繰り返しなのだというのは、どうしてもわかりませんでした。少なくともぼくは、たとえ9ページの空白に5ぺージと同じ顔を持ってきていたとしても、5ページとまったく違う意味として受け取るはずです。

 他に大きく混乱したところは16ページ冒頭の会話でした。その前のページで描かれたシーンが強烈過ぎて、9ページで言及されていた『骨にする』という目的をすっかり忘れていたために、『マネしてみろよ。』という台詞が『お前もマネして(骨格標本作って)みろよ。』だと理解するのに時間がかかりました。また、同じく16ページですが、『なぁ。言ってみろ。』もどちらの台詞なのか未だにわかりません(こちらについては意図的なものかもしれませんが)。

 細かい違和感の話に移ると、5ページの1コマ目、女の子が男の子の胸倉をつかんでいるシーンはかなり唐突に見えるのと、この絵は『ごめん……』とミスマッチを起こしているように感じました。

 全体を通して使われているオノマトペが非常に印象的で、このネームの雰囲気を作り上げているように思えます。感覚でやっている部分なのかもしれませんが、ぼくからみるとこの感覚を表現できるのは素晴らしい強みだと思うので、是非続けてほしい演出のひとつです。

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『嫌と言えなくて』作者:俗人ちん

 いじめっ子にパシリにされる女の子と、ヤンキーキャラの子が出会うことで問題を乗り越える、言ってしまえばテンプレ的なお話でしたが独特な読後感をもって読むことが出来ました。主人公が変に内向的なわけでもなく、感情が当たり前に表情として出てきているのが面白かったです。これだけ引きつった微笑みを見逃すサキは相当の天然か……? 3ページの左上のコマで描かれていますが主人公も別にサキの全てが嫌だったわけじゃないんですよね。

 モノローグが多用されることで淡々と物語が進んでいく感じがあり、独特のテンポで読み進めました。ジュンコもすごく楽しそうに動いていて、非常に可愛いです。主人公の造形がやはり少し特殊で、何されるか分からない金髪=カツアゲと即座に思い込んで怯える一方、普通に話しかけてくれると瞬時に安心しているシーンに何だか愛嬌を感じました。

 今のネームはこれとしてユニークなリズム感があるので非常におもしろいのですが、ネームアピールを読むと、場合によって作者が狙っていたのとは違うものになっているのかもしれないです。

 物語としては確かに『勇気を出して言えた』お話しになっているのですが、ネームの中では主人公の葛藤が少なく、何かを乗り越えたというよりもジュンコに説得されたようなお話として見えていると思います。繰り返しになりますが、今のネームはそれとしての面白さがあるのは確かなのでどう変えるかは難しいところなのではないかと思います。もし、キチンと主人公の葛藤と乗り越え(勇気を出すこと)にスポットを当てるのならこのネームの4ページから話を初めて主人公の葛藤とそれを乗り越える困難を描くページを入れることも出来るんじゃないかと感じました。

 さて、3ページのモノローグ『サキさん達とは――』は『サキさんとは――』の方が良いかと思います。確かに終盤では集団でパシリにされかけますが、このネームは主人公がサキを乗り越える物語として描かれているのでその軸を統一して、あくまでもこの話は「主人公VSサキ」という構図を貫いた方がすっきりするのではないでしょうか。

 また、9ページ左下のコマに出てくるジュンコは主人公の心の中のジュンコなのかリアルジュンコなのか少しわかりにくく感じました。加えて、現在のオチもコレはこれで良い終わりなのですが、せっかく大ゴマで二人一緒に食事をするシーンを描いているので物語の冒頭などに「サキと付き合っていた頃は一緒に食事を食べさせてもらえなかった」という場面などを入れて対比できるようにするとより『真の友達』というテーマが際立つのではないかと思いました。

 プロット段階の物語としては、いじめっ子が居ていじめられっ子が居て、部外者的なヤンキー女子がいるというバランスの取れた構造を描けているように感じました。特にジュンコが良かったです。13ページの『ハハッ それはない』というのも非常に良い台詞でした!
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『牧場(まきば)のふりぃじあ』作者:pote(ぽて)

 登場人物に関してご自身の趣味を反映させたとのことでしたが、poteさんは非常に可愛い女の子を描くことのできる方なので、それは同時に読者の見たいものでもあると思います。そしてその上で、今回のネームでは、女の子にきちんとした主体性を持たせて主人公の男の子と関係を築き上げようとしているように見えました。

 非常に難しいことをやろうとしているのではないかと思います。このネームで主人公が直面している問題は、単に乗り越えるとか克服するとかといった種類のものではなく、あくまで自分自身がその問題とどう向き合うべきなのかという種類のものなので、「コレ」といった答えを与えられてしまえば嘘になってしまうからです。

 読んでいて分かりにくさを感じたり、躓くような印象があったりしたのはまずは5ページもある家族写真の描写でしょうか。ここでは主人公の両親がすでに他界していることや、その寂しさ(あるいは傷)はまだ癒えていないということを伝えたいシーンだと思います。

 そう思って読んでいると、おじいさんの言葉の対する主人公のリアクションが描かれずに「預言」へと意識が行っていることに違和感がありました。あるいは単に下段右のコマに入っている主人公の表情が弱いと感じているのかもしれません。

 あとは冒頭と9ページで触れられている『(牧場の)規模が小さい』という情報に対して読者は何を受け取れば良いのかが、あまりはっきりとはわかりませんでした。『どちらも主人公のせいではない』というのは解るのですが、それだけならば『牧場=家業』が決まっているというだけで十分だと感じます。したがってこの場合には『規模が小さい』ということにまた別の意味があるはずだ、とは考えたのですがそれが分かりませんでした。

 主人公が『くだん』について調べ始めるタイミングについても違和感がありました。10ページに描かれた感じで行くのなら5ページの後に挿入され、6ページに接続された方がつながりが良いように思えます。そうすれば5ページにある主人公の表情もそこまで違和感がないのかもしれないと感じました。また、天井を見つめながら3年前のことに思いをはせるより、両親との思い出である花壇の前で、ある種の理不尽な問題である牧場のことを考えながら3年前のことを思い出す方が自然につながるのではないでしょうか。

 15,16ページはとても良いシーンだと思いました。

 理解はしていても決着がつかずにいた問題について問答無用に結論だけが与えられた中で、あくまでも他人に何かをゆだねるのではなく自分自身でそれと向き合うために、新しい家族として女の子を受け入れようと名前を尋ねた主人公には心揺さぶられます。

 ところで『絵が間に合いきっていない』というのは15ページの2コマのことでしょうか。ここがこのネームでの一番のキメだと思います。顔のアップを入れようとしたのか、はたまた身体の一部で演技を入れようとしたのかはわかりませんが、是非ここに絵が入った状態でこのお話を読みたいと願います。

 直接的には7ページからつながる場面だと思いますが、16ページ単体でも女の子は何気なく『ふりぃじあ』の予言を口にしたのではなく、主人公の決断を受けての言葉だというのが3コマ目、5コマ目から伝わってきました。

 正直、15ページにどんな絵が入るかが分からないと何も言えないです。もし入らないのだとすれば、それは読者に伝わらないマンガになるので絵を入れた方が良いです。そしてその絵によっては16ページの1コマ目に入る表情も変わり得るのではないかと思います。

 ごめんなさい。自分なりに精一杯考えてみましたがどうにも、このネームにきちんと答えられるようなコメントが出来たようには思えませんでした。おそらくこのコメントを受けて色々言いたいことがあるのではないかと思います。もしよろしければ、是非お話しさせてください。

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夢で逢えたら』作者:瀬戸チヒロ

 味のある線や絵柄だけで読みたくなってしまうネームです。女の子を可愛らしく描けているのも強みだと思うのですが、この何とも言えない可愛げのある主人公造形がすごいと感じました。何が何だか分からないまま女性たちが訪れては消えていく中で、多種多様な主人公のリアクションを読むネームだと思って読みました。

 ギャグマンガよろしく、比喩として刺さった矢を呻きながら抜くシーンはもっと大きなコマで見たいくらいです。これはもう完全に個人的な好みの話なので聞き捨ててもらって構いませんが、8,9ページのお洋服が最高でした。

 10ページの中段左コマに『バタン』と二回扉の閉じる音が描いてあるのが良く分かりませんでした。

 絵としてとても魅力があるし、キャラクターの造形も非常に可愛らしいのですが正直、今回のネームに関して物語としてどうこうというコメントを書くことは難しいように思います。それはネームアピールにもあるように最終的な結論が『夢オチ』になっているからです。それも、ぼくの感覚からすると「夢オチにしても中途半端な夢オチ」に見えました。1ページと15ページは明らかにリンクがあるような描写であり、その上でこれから物語が始まるような雰囲気で16ページが終わっているからです。

 あえて言葉を選ばずに書くとすれば「ああ、作者は話が思いつかなくて投げたのね」と思われても仕方ない様な作りに見えてしまいました。

 キャラクターが可愛く、それだけで楽しく読み進めることが出来る力強いネームだと感じるだけに物語として『夢オチ』を選択したのは少し残念でもあります。例えば、夢の中での出来事であるにせよこの部屋の扉を通って女の子が出てくるだけの理由を説明出来たり、なぜ女の子は徐々に年齢を重ねていったのかの説明があったりするだけで読者はそこに物語を見出すことが出来たんじゃないかなぁと思います。

 定規を使わずに描いた背景も、ハイライトがなくクリクリとした黒目で表現された女の子も、どこかぼんやりとしていながらもなんとなく優しい主人公の男の子も、とてもとても魅力的でした。次回は、是非、夢オチ以外の物語を読ませてください!!

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『雨のあとは上天気』作者:こぐまあや

 相変わらず(といってもぼくは二作品しか知りませんが)ものすごく絶妙な人間関係に目をつける方ですね~。そしてそれ自体がすぐれた能力だと思います。

 彼氏の愚痴から物語が始まる一方でカメラを彼氏の側に固定することで剣呑な別れではないことを表現しつつ、彼女の表情をめくりで見せて雰囲気をまとめる巧な演出だと思います。

 比較的ゆったりとしたテンポで始まったものの、7ページ以降、徐々にテンポを上げていくので読者としては回想に入ると同時に物語のピークへ突入していて非常に心地よく読むことが出来ました。キャラクターの表情変化も比較的明確に描いてあり、読者が感情の理解に迷わなくていいのもスムーズな読解を助けているのだと思いました。その一方で、扱っている関係性そのものははっきりと言葉や絵に表せない曖昧なものである点に驚きます。回想を挟むタイミングや、彼女に対しどこか不器用に設計された彼氏の造形が上手くハマっているのではないかと感じました。

 初見時に一つだけ誤読したところがあり、それは9ページ下段から始まる回想のシーンでした。現在時空でも雨が降っていて、雷がなる程の大雨として演出されていたのでシーンとしてつながって読めてしまったのです。もしかするとペン入れ時に間白(コマとコマの間)を塗りつぶすなどして明確に回想として表現するのかもしれませんが、少なくともネームのように描いてしまうと誤読してしまうポイントなのではないかと思いました。あと、これは恐らくノドの部分で見切れてしまっているのだと思いますが、12ページの最終コマ、主人公の女の子が般若のお面を持って物思いにふけるシーンの描き文字が『ドヤアアアアアアアアア』に見えて笑ってしまいました。

 まぁ、これだけなら笑い話で済むのですが、12ページのこのシーンはある種のキメゴマになるはずなので、ノドの側に断ち切るのは避けた方が無難だと思います。特に今回の場合は重要なギミックであるお面がノドに描かれているので冊子になった際には読み取れない読者も出てくるのではないかと感じました。同じ観点で、全体的にノドの側にはみ出している吹き出しや書き文字が多いのが気になります。多少なら問題はないと思いますが、一度講師の方に訊いてみても良い部分かもしれません。

 5ページのティッシュを投げているコマが個人的なお気に入りコマです。

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『宇宙の果てからこんにちは』作者:西岡京

 第1回課題に続いて幻想的なネームでとても読みごたえがありました。今回は主に二人の関係性で話が進んでいくためか、物語の筋を追う分にはすっきりとした構成になっていたように思います。

 夫婦喧嘩をして仲直りをするだけのお話ですが、とても盛大なスケールで語られていて途中回想でのクォーターの話や哲学的な「宇宙の果て」のお話まで要素盛りだくさんといった感じで面白かったです。ただ、その副作用か、一つ一つの要素が本題とは別に語られてしまっているような印象があったのは確かだと思いました。

 このネームを読んでぼくは、もっと「宇宙の果て」を追い求めるマンガを読みたいなぁと感じました。夫婦喧嘩の様子や仲直りもとても面白く読めるのですが、やはりネームを見て一番力の入っているところは「宇宙の果て」だと感じたのです。(タイトルにもなっていますしね)

 描きたいことを一部そぎ落とすような格好にはなってしまうのかもしれませんが、例えば物語の冒頭を夫婦喧嘩をして夫が追い出されたようなシーンから初めて、傷心旅行だとばかりに開き直った反省の旅として思い出の地である「宇宙の果て」を目指し、再びクォーターの彼と共に星を眺めた末に謝って仲直りするような話であれば16ページでまとまるかなぁなどと妄想を広げてしまいます。そこが魅力的な部分でもあるのですが、やはり今のままだと16ページに詰め込むにはテーマが多いような感覚がありました。

 西岡さんのネームは幻想的な語りをしてくれるモノローグが多く、それが漫画全体の雰囲気を作り出しているのだと思います。一方で時折そのモノローグの中で通りの悪い様な言い回しがあり、「こことここは前後を入れ替えるだけで通りが良くなるんじゃないかなぁ」と感じることがあります。今回のネームで言うと、6ページなどがそうでしょうか。『翌日 昼前に切り出した』→『休みを取り 修理の対応は 親に頼んだ』という部分ですが、ここは『休みを取った翌日 昼前に切り出した』→『修理の対応は親に頼むことにした』という順の方がスッと理解が出来るのではないかと思います。

 物語のスケールが大きい分、やはり16ページにまとめるのは大変だと思います。ですが、この幻想的な雰囲気はやはり西岡さんの武器なのではないかと感じます。まずはそれを16ぺージのスケールにまとめたり、順番を整理したりなどが必要なのでしょうか。

 印象的な一枚絵、大ゴマの使い方がとても上手でやはりこのネームの持つ魅惑的な幻想にぼくの心は惹きつけられます。マンガとして少し落ち着かない感じがあるのは事実なのですが、それでもこの雰囲気の力は強く、読んでみたいと思わされるのです。

 ネームアピールを読むに、様々な事情があり上手くいかなかったところもあるのだとは思いますが、手直ししたもの、あるいは次の作品を読むことが出来ることを心からお待ちしています。

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ミスティフィカシオン』作者:田山

 第2課題のネームとも関係する事なので初めに一つ、謝罪をさせてください。

 ぼくが田山さんの第1回課題の完成稿を受けて書いたコメントについてです。

 結論としては、あのコメントの内の少なからぬ量が色眼鏡を通して見たことによるものであると思うに至りました。こちらの都合で田山さんの作品を歪めたばかりか、それに気づくことなくコメントを残してしまい、大変申し訳ありません。前回のコメントについて、その一部は今でも同様の考えを持ってはいるものの、多くの部分に関しまして無責任なものになってしまったことをここに謝罪いたします。

 ――さて、第2回課題のネームですが、非常に、本当に楽しく読ませていただきました。田山さんの取られている、掌編を積み重ねることによって一つの大きな表現をする手法は少なくとも今の時点ではものすごく田山さんの色とかみ合っているのではないかと思うほどの読み応えでした。

 第一に、今回のテーマを田山さんなりに表現するにあたって、ある種、解離性障害的なギミックを選択したことで主人公が女の子になったことが非常に魅力的です。田山さんが、ご自身の絵柄をどう捉えていらっしゃるのかはわかりませんが、田山さんの描かれる女の子は普通に周りを見渡しただけではすぐには見つからないほどに魅力的だと思います。語弊のある書き方なのかもしれませんが、「マンガはよくわからないけど女の子が可愛いから読んでいる」という人がいてもおかしくないレベルで力のある絵柄だと思います。

 物語の駆動力にある種の万能設定(診察室)を用いていますが、タイトルをつけて別の話として取り扱うことで違和感はかなりなくなっているのでアリだと感じます。その一方でこれらの点について別の問題を感じていて、このネームを描くにあたってどれほど下調べをしたのかが気になりました。物語を表現するギミックとしては非常に機能している設定なのですが、この設定やこの表現を用いることで、中身とは全く関係なくこの表層に拒否反応を示してしまう人間が存在するのではないかと感じたからです。

 もちろん「その方々は読者として想定されていないのだ」というなら構わないのですが、1ページは単に読者のミスリードを誘うためだけに「狂っているから、女装をする」という描き方をされているように見えてしまい、ほかならぬぼく自身が読んでいて非常に心苦しかったです。

 マンガ的表現の話に移りますが、7ぺージ、ぼくはとても好きでした。とても好きなのですが、やはりマンガを読む人間にとって文字がツラツラと並んでいるというのは多少なりともストレスがあるものだと思います。せっかく素敵なモノローグを機能させているので、7ページ下段の一節はモノローグで語らせるなどで、無理して全文を読ませなくても読者が理解できるような表現ができるのではないかと感じました。とはいうものの、第1回、第2回の提出作品及びアピール文を読むに田山さんにとって文学作品(そが実在するものであれ、創作したものであれ)からの引用は特別な意味を持つもののようです。今回のネームで言うのなら、8ページ下段の『その本はひどく Rさんの心を 刺したらしく』という表現をも少しストレートに取り扱うことで、引用部分を読み飛ばしても物語がつながるような作りになるのではないかと感じました。

 12ページが物語の転換点ですね。素晴らしい表現力だと感じました。ぼくの心も揺れ動きます。もしかすると、もう少し客観視点をもつキャラクターが必要で、物語をまだまだ一般の側に連れ戻さなければならないのかもしれないとは感じるのですが、今回のネームに限って言えば素晴らしく独りよがりで、独善的で、ある種の美しさをここへ投影しているのだということがそれなりの数の読者に伝わるのではないでしょうか。

 言ってしまえば取り扱っているのは過去にさんざん言及され、手垢まみれのモノだとは思います。ですが、作者の執念を感じるレベルにまで昇華されているように見える今回のネームはそれだけで意味があるように思えました。

 本当に申し訳ありません。謝ってばかりですね。ですが、前回の反省もあり、今回のネームが一般化を許さないほどにぼくの傍へ寄ってきたことも重なって、ほかの方へ残したコメントのようには出来ませんでした。ごめんなさい。

 機会があれば、改めて謝罪をさせて頂きたいと思います。

 そして、もしよろしければ直接お話をさせてください。school.genron.co.jp

おわりに

 提出作品の内、定められたレギュレーションにのっとっているものについてコメントを書きました。ひらマン関係のエントリーでは、投稿作品が統一されたレギュレーションに従っているという前提でコメントを書いてきたため、今回の更新では意図的にコメントを載せていない作品があります。ただし、単にこれはこのエントリーの構造では対応できない作品が投稿されてしまったというだけであり、必ずしも今後対応しないということではありません。

 少し考える時間を頂ければと思います。

 さて、ついに投稿ネームに対するコメントを書き終えました。個人的に激しい反省を必要とする記事になってしまいました。コメントを書き終えての記事は『まとめ編』としてまた別に記事を作成する予定ですので、そこで改めて今回の課題文に対するぼくの反省と、コメントを書くにあってぶち当たった壁について書くことが出来るのではないかと思います。

 大反省会です。

 それでは、また次の記事でお会いしましょう。

 興味のある方は以前の記事も是非お読みください。

toraziro-27.hatenablog.com