とらじろうの箱。

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【ひらめき☆マンガ教室】第1回課題・自己紹介 ネーム感想まとめ編【第4期】

第1回課題・自己紹介

はじめに

 明日(2020/09/05)、ついにひらめき☆マンガ教室第4期の初回授業が始まります。

 ぼくはあくまで聴講生であり受講生ではありません。

 けれどもその上できちんと漫画と向き合うにはどうしたらいいか。聴講生として受講生に何ができるか。聴講生というシステムを最大限生かすにはどうするか。ひらマンにはなぜ聴講生システムがあるのか。

 などなど様々なことを自分なりに考えた結果「提出ネームに対して感想を返す」ということをさせてもらいました。

 不必要に言葉が荒くなったり指摘が攻撃的にならないよう気を付けたつもりではありますが、場合によっては不快に感じる方もいたかもしれません。それはひとえにぼくの力不足であり、非常に申し訳ないと思います。一方で何人かの方にはTwitterで反応を頂くことができ、やって良かったと心から安堵しました。本当にありがとうございます。

 さて、この記事では主に以下の3点に絞って『ネーム感想まとめ編』にしようと考えています。

  1. 課題ネームを読み終えた今、改めて課題文では何が言われていたのか
  2. 課題ネームを読み終えての感想
  3. 疑似的課題提出、ぼくの自己紹介(おわりに)

 受講生の方に直接関係してくるのは1と2になるはずです。

 もし、ぼくの考えていることに興味があれば3についてもお読みいただければと思います。そこそこ面白いことを書いているはずです。たぶん。お読みいただければ今のぼくにそれ以上の幸せはありません。

 さぁそれでは、本題に参りましょう。

改めて課題文を読む

 以前にこのブログで『自分ならどうするか編』を書きましたが、その際には十分処理しきれていなかった部分が明確にあります。

 少し長いですが、まずはその部分を課題文から以下に引用します。

もうひとつは、あなたの経験と感情をベースにしているけど、あなたではない第三者、つまりキャラクターにそれを演じさせる、というパターンです。

(中略)

たとえばあなたとお母さんの話を描くのであれば、あなた自身ではなくお母さんの立場で描いたっていいです。あなたが実際に行動したのと違った結末を描いたっていいのです。「あなたの経験と感情をベースにして」いるなら、SFだっていいし、時代劇だっていいです。あるいは、実際にはそんなことは思わなかったんだけど、あとでその経験を客観的に振り返ってみたら、こういうふうに思うなあ、ということをキャラクターに思わせたっていいです。

 ぼくは特に(中略)の後に続く文章について考えあぐねていました。

 というのも自分の体験をこのように処理した際に、それでも読者へ『自己紹介漫画』として提示され得る漫画とは何なのか? が分からなかったからです。

 改めて考えてみて、今のぼくはこのように結論づけました。

 『キャラクター(≠作者)を用いて、ある物語やイデオロギー(思想)に対する応答を描き、それらに対する考え方(姿勢)を示すような漫画であれば「ああ、この作者はこういう思想や哲学を持っている人なんだな」と自己紹介的に受け止まれ得る』

 ということです。少しわかりにくいかもしれません。

 ある種語弊のある様な例えになってしまいますが、SFチックな舞台設定で戦争や暴力に抵抗する漫画を読めば、読者は「ああ、この人(=作者)ってもしかすると戦争や暴力についてなにか思う所のある人で、その上でそれらに抵抗しようとしている人なんだな」と読み取ることが出来る、と言うことです。筆者の趣味嗜好を読み取ることのできる漫画と言ってもいいのかもしれません。

 ここで今回の課題文をぼくなりにまとめ直すと、

  1. お互い(≒作者)のことを良く知るために『自己紹介漫画』を描く。
  2. 自己紹介の方法として、自分はある出来事に対してどう応答するような人間で、その時にどのようなことを感じる人間なのかを描くのも一つの手段。(エッセイ漫画的手法)
  3. 自己紹介の方法として、自分はある考え方や概念などに対してどのような思いを抱いていて、その結果どのような結論を現時点で持っているのかを描くのも一つの手段。(自分ではない第三者に何かを演じさせる手法)
  4. 上記のことを踏まえ、自分が実際に経験したことと、それに対する感情を使って、読者が楽しめる形式(=物語)に落とし込んだうえで漫画にする。

ということになるでしょう。

課題ネームへの感想を書き終えて

 まず上述の課題文読解を踏まえると、感想を書いた段階ではぼく自身がうまく捉えられなかったネームが多かったなと非常に反省しております。

 申し訳ないです。

 加えて、ネームを提出した人は「このネームを誰かに読んでほしい」という前提があるというのを当然のこととして感想を書いてしまいました。この点については初回授業前だったとはいえ、多様性の許容を掲げるひらマン的にはNGなことだったと思います。

 今のぼくが率直に感じていることを書くと「初回とはいえこんなに多くの人が課題提出すると思ってなかったわ!」です。ぼくは感想を書いただけに過ぎませんが、結構疲れたということを書いても今なら許されるかもしれない。

 まぁ、冗談はこれくらいにして以下では提出ネームを読んでいて考えたことを書いていきます。

 第一に、エッセイ的構成の漫画が極端に少なかったことは驚きました。

 ぼくがはじめに課題文を読んだ限りでは第二の方法で『自己紹介漫画』として成立するための条件が分からなかったし、お手本として示されていた漫画が二つともエッセイ的表現を用いていたので、普通に考えたらそちらが多くなるだろうと予想していました。おそらくはそもそも自分のことを漫画に描いた経験が少ないこと、課題文においてエッセイ的手法の説明より第三者的手法の説明の方が明らかに分量が多かったこと、『「物語」にしてください』という文言が気にかかったことなどが原因だろうと推測しています。

 また、全体として非常にレベルの高いネームが多いことにも驚きました。恥ずかしながら聴講生である私もかつて漫画を描こうと試みたことがあります。その際にはまずもってコマ割りを最後まで行えなかったし、何を描いているのか理解できるネームには到底なりませんでした。

 そういう意味で今回提出されていたものはどれも「何が描かれているのか分かるネーム」であり、素晴らしいかぎりです。すごい! 加えて、課題文で示されているよりも一歩、二歩先に進んだ内容のことを無意識に実践しようとしているようなネームが複数あったような印象も受けています。

 それから、漫画を描いている際に「こういう風にしたい!」と目的のはっきりしている方が多かったことも意外でした。自分が何をしたいのか、どいういう雰囲気を目指して行動しているのか自覚できていることは表現をするうえですごく重要なはずです。なのでこの点でも皆さんのレベルの高さには驚愕しました。

 けれども、○○になるように心がけました! 、xxのことを描きました、という具体的なゴールがある一方で、『そのためにココをこういう展開にして、コッチはこういう演出にしました』とか『ここでこの表現を入れ、より伝えたい△△が明確になるようにしました』といった、ゴールを目指すために漫画という媒体で私はこうしてみましたよ、というアピールが少なかったのではないかと思います。

 提出作品の完成度の高さから皆さんは仕事にせよ趣味にせよ、ある程度漫画を描いてきた経験があるように感じました。そのために、いままでなんとなくできていることがたくさんあり、自分が何をしているのか改めて自覚することが難しいのではないかと思います。

 ネームアピールは言葉で表現しなければならないので、ネームアピールを書くには漫画を言語に翻訳する作業が必要になります。つまり、自分が何をしているのか自覚的にならなくてはならない、ということです。今回は初回ということもあってかネームアピールをあまり書いていない方もいらっしゃいました。次回提出時には「ネームアピールはとにかく書く」という態度で臨んでも良いのかなぁと感じています。

おわりに

 ネーム提出作業のある正規受講生には物理的な余裕がないかもしれませんが、ひらマンの課題文は何かとてつもないことをしているような気がします。

 今回の課題文では、漫画ってつまり何をしているのか。漫画に描いてあることとは何か。人が漫画を描くときにはどういうプロセスがあり、その結果はどういう風に現れるのか、などなどを考えさせるようなものに思えます。

 この記事を聴講生の方が読んでくださっているかはわかりませんが、おそらく『漫画を読めるようになりたい』『漫画って何なのか知りたい』という欲望のある人は課題文を根気よく読み取くことで何かがあるんじゃなかろうか……。

 ところで、ひらマンとは全く別件で「漫画を描くことって自撮りに近いですよね」という話を友人としていました。今回、皆さんのネームを読んでいて余計にそう感じます。もちろん今回の課題が『自己紹介漫画』であったこともそう感じるのに一役買っているはずです。

 ぼくは「もうこれ以上ないわ」ってくらいに自撮りが苦手です。具体的には小学校低学年のころからカメラを避けていた記憶があります。まず、自分が何かの画面に映るということに生理的な嫌悪感があるのです。

 一方で、マンガを描く、特に今回のように『自分の実際に経験したことと、それに対する感情を使って物語を描く』というのはまさしく自撮り=自分を画面上に置くことだと思うのです。

 ネームを描くというのは、まず『自分』を画面内に投影し、その像が他者=読者からどう見えるのかを考え、読者の目線から意図した形で『自分』が捉えられるように編集をしていく作業です。これはまさしくインスタ映え的なことで、自撮りをフォトショ加工し理想の自分(=伝えたい事)を、他者を前提にして作り上げることだと思います。

 これは全くの独断と偏見ですが、漫画を好きで描いている人の多くは自撮りが苦手な人なのではないかと思うのです。それなのに漫画を描くという行為はひどく自撮りに似ているように感じます。漫画を描いて消耗するのは当然だなぁと。

 多くの人には何を言いたいのかよく分からないかもしれません。ごめんなさい。

 今回の課題が『自己紹介漫画』だったので、ぼくはこの記事が課題提出の代わりになれば良いなと思います。

 ぼくは、たぶんこの記事にある様な人間です。

 『BL読みって絶対自撮り苦手だよな』とか『その反面、夢女子/男子はおそらく自撮りに抵抗がないだろう』とか、『自撮りってたぶん今の若い世代では抵抗がなくなってるはずだけど、それって客観的な自分が存在することを当然だと思ってるってことだから、自撮り以前と自撮り以後で人々のコミュニケーション、ひいては自分というものに対する認識が変化してるんじゃないかな』とか『まぁ、普通に自撮りってルッキズムとセットだしな……』とか考えている人間です。

 これだと自撮りに憑りつかれている奴みたいですね……。

 ほかには『キャラ萌えってぼくからするとどうしても暴力に見えるんだけど、キャラ萌えができる人ってそこのあたりにはどうやって折り合いをつけているんだろう』とか考えてます。

 変な人間だなぁ。こういうこと書いて良いお仕事が欲しいデス。お仕事ください。

 さてさて。

 というわけで長々とお付き合いいただきましたが、これにてひらめき☆マンガ教室の第一回課題『自己紹介』に関する記事を終わりにしようと思います。

 それでは、また次の記事でお会いしましょう。

 少し古い本になってしまいますが、ひらマン主任講師のさやわかさんと西島大介さんが書かれた『西島大介のひらめき☆マンガ学校』(講談社BOX)は漫画の批評としてものすごいことをやっているので、漫画を読むうえでも描く上でも是非お読みになられた方が良いかと思います。そして以下のリンクから買っていただけると端的にぼくが喜びます。

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