【FE風花雪月】ファイアーエムブレム風花雪月のすばらしさを考えた ネタバレなし【一周年】
風花雪月が7月26日に発売一周年となることを記念して記事を書きました。
ファイアーエムブレム(以下、FEと表記)はシリーズごとにプレイ体験の大きく異なるゲームです。まずはこのような視点から、風花雪月以前のFEをぼくがどのように捉えていたのかを共有したいと思います。下記にプレイ済みのFEタイトルを並べてみました。ただし、DSは”ニンテンドーDS”を、VCは”バーチャルコンソール”を意味します。
トラキア776はシリーズ屈指の難易度を誇りますが、ぼくはここからFEにハマっていきました。というのも難易度が高いため、ゲームオーバーを回避するにはある程度真剣にプレイする必要があったからです。
予兆なく湧き出る増援。
予告無くはぎ取られている装備。
レア武器をノーマル武器のように持ち出してくるモブ敵。
『そうか、これがFEか』と。トラキアをクリアした際の達成感はひとしおで、他のゲームタイトルでは中々得られない感動を体験しました。
ゆっくりと時間をかけ、検討に検討を重ねて育てたキャラクターたちに、プレイ終盤にはまるで本当の友であるかのような愛着を抱きます。その子たちが、ちょっとしたプレイミスのためにロストしまった時の感情たるや……。この喪失感はとても言葉にできません。自分語りで恐縮ですが、リフィスがロストした時には、あまりにも落ち込んで次の日までDSに触れませんでした。
ファイアーエムブレム風花雪月について
前置きが長くなってしまいました。ここからが本題です。
風花雪月について語るには、第一に「学園モノ」であることに注目しなければならないでしょう。
当初は波乱を呼んだFEと学園モノの組み合わせ
新作FE(風花雪月)が学園モノだと判明したとき、いわゆる古参ファンの間にちょっとした動揺が広がりました。学園モノという言葉にソフトな印象が強かったからです。そもそもFEシリーズは「戦争」と言うハードなテーマを扱っているゲームです。それは風花雪月でも変わりませんでした。ところが、公開されたPVの中では和気あいあいとした学園パートにスポットが当てられおり、肝心要のハードさが鳴りを潜めていたのです。当時、これらと前作まで(主に覚醒/if)の流れを受けて『ときめきエムブレム』という言葉が流行ることもありました。
まとめると、学園モノという舞台設定は当初、生死を扱っていたハードなFEとは相反するものとしてファンに受け取られたのでした。
当時の揺れ動く古参エムブレマーの心情については、以下の記事で綺麗に語られているのでそちらのリンクを貼っておきます。素晴らしい記事なので読んだことのない方はぜひ。
ancovered-mochi.hatenablog.com
FEのゲーム性
そもそもFEは「戦略シミュレーションゲーム」と「キャラクター」を組み合わせたところにそのユニークさがあります。それまでの戦略シミュレーションは敷居の高いジャンルだと思われていました。FEシリーズはそこへキャラクターを取り入れて、その敷居を下げることに成功したのです。その結果、SRPGというジャンルのパイオニアとしてゲーマーに受け入れられ始めました。
「ロイ」「マルス」「ルキナ」など、スマブラでお馴染みの面々もFEのキャラクターです。FEには魅力的な子たちが大勢います。そのデザインだけでも酒のつまみになるほどです。そしてFEシリーズの醍醐味の一つは、”魅力的なキャラクターたちが、戦争という舞台の中で障害を乗り越えながら成長する姿を味わい尽くすこと”だと思います。
下記のインタビュー記事では開発者ご本人が『FEらしさ』について語っています。未読の方は必読です。
ロストシステムとファイアーエムブレム
冒頭のようなゲーム体験はロストシステムに支えられています。これは「ゲーム中で敗北したキャラは文字通り死んでしまい、その後の物語に出てこなくなる」というシステムです。ロストシステムはゲームの中にリアルな死の実感を持ち込みました。そしてその実感こそが、戦争というテーマを扱うにふさわしい独特の緊張感をプレイヤーに与えてくれるのです。さらに言えば、この「死」という回避不可能な残酷さが存在するために、ランダム性によって産まれる感情が爆発的なものになります。エムブレマーなら誰しもが『この攻撃は外れてくれ/当たってくれ!』と祈った経験を持つはずです。そして、その祈りが届いた瞬間の凄まじいカタルシスを知っているはずなのです。
ロストはプレイヤーが持つキャラクターへの愛着を、そのまま絶望へ裏返してしまう斬新で残酷なシステムでした。『好きだから』と愛着を持って動かしていた子たちは、敵にやられて死を迎えます。その子たちはその瞬間、物語から完璧に脱落し、あまつさえ他者によって語られることすら無くなるのです。
長い間、開発者/消費者を問わず、この残酷さこそがFEにとって必要不可欠な要素の一つだと考えられていました。FEシリーズは途中から「カジュアルモード」を採用します。これはロストシステムを取り除いたまま、同じ難易度でゲームをプレイするモードです。カジュアルモードの提案から実装までには実に4か月間の議論が必要だったと、当時の様子が以下のインタビューで語られています。話者は、その時点でプロジェクトマネージャーだった樋口雅大さんです。
また、ぼくがここで「残酷さ」と表現しているものは、FEシリーズの生みの親として知られているゲームデザイナーの加賀昭三さんが「滅びの美学」と呼んでいるものです。下記リンクページはかなり古いです。そのため、場合によっては文字化けするかもしれませんので、その下に該当部分を引用しておきます。
NOM独占インタビュー!! 加賀昭三氏(『ファイアーエムブレム』シリーズゲームデザイナー)が語る、『トラキア776』への想い、プレイヤーへの想い
私はゲームのなかに、滅びの美学を反映させているつもりなんです。50人登場したとして、全員は生き残れない。誰かが犠牲になるところにドラマが生まれる。それを大切にしたいんです。
ロストシステムのジレンマ
一方で主要キャラクター以外が本筋に絡まないというジレンマを生んでしまう原因もこのシステムにありました。
繰り返しになりますが、ロストしたキャラクターは強制的に物語からはじき出されます。死者は話す口をもたないのだからこれは当然のことです。ですがそのために、死んだらゲームオーバーになるキャラ(=主要キャラクター)以外を本筋に絡めることができなくなりました。
ロストシステムを変えずに多くのキャラクターを本筋に絡めることは非常に大変です。どのキャラクターがどの章で脱落するかは、多くの場合プレイヤーに委ねられているからです。そんな状況の中で整合性の保たれた一つの物語を作るのは、莫大な手間とコストがかかります。それでなくともゲームカートリッジの容量は限られています。すべての登場キャラをバランスよく物語と絡めるにはたくさんのハードルがありました。
それでも愛着のあるキャラクターが本筋に絡まないのは、プレイヤーにとってとてもつらいことです。
例えば、ぼくはトラキアでリフィスという小悪党がお気に入りでした。ゲームで鍵になる「シーフ」という役職であり、体格が良く成長してくれたからです。リフィスはパーンというキャラと確執があると知り、ワクワクしながら攻略を進めました。ですが、作中にある二人の会話はほんのわずかなもので、どんな間柄だったのか十分な想像ができないレベルだったのです。ぼくはこのことについて率直に残念だと感じています。
主要キャラだけを好きになればこの問題は小さいかもしれません。けれども、FEに登場するキャラクターはあまりにも魅力的なためにそれを許してくれませんでした。
支援会話という希望の光
このような状況下で「封印の剣」から支援会話システムが登場します。親愛度に応じた会話イベントを戦闘マップで発生させるというシステムです。これは端的に名システムでした。本筋に絡まない会話でありながらも、親愛度と連動させることでキャラクター間の関係性がより深く理解できるようになりました。単にテキスト量が全体的に増えただけでなく、より深くキャラクターを掘り下げることが可能になり、各々のキャラクターが以前にも増して生き生きと感じられるのです。
支援会話はプレイヤーの体験をさらに深いものへと導きました。
しかしながらこのシステムも決して万能とは言えません。
支援会話は戦場マップでしか発生しないため、生死を賭ける戦場で非常にほのぼのとした会話が展開されるという新たな問題も生んだのです。そもそもSRPGのゲームパートは戦場マップに集約されています。したがって、メインストーリーとは異なる部分でテキストを増やそうすれば、自ずとこのような構造になってしまうのでした。また、支援会話システムは画期的ですが、それでも本筋に絡むキャラクターは固定されており、そういう意味での格差は残されたままになりました。
学園モノという最適解
今までの話から分かるように、FEシリーズの肝心要はキャラクターです。
FEはシリーズを通して、いかにキャラクターを魅力的に見せられるかを追求してきました。結婚やマイユニや拠点の導入など、上で検討してきたものとは別のシステムも発明されます。そのどれもが「どうしたらゲーム性を保ったままキャラクターへ焦点を当てられるのか?」を考えたものでした。
そしてその最適解が、最新作である風花雪月で解き明かされたのです。
それが「学園モノ」でした。
舞台装置に学園を用意し「学級」と「担任」という枠組みを作るだけですべての問題が解決されたのです。
これは大変な驚きです。
ぼくはPVを見て落胆こそしませんでしたが、それでもFEが学園モノとセットになることに特別な期待を寄せてはいませんでした。今から振り返ると、先入観なく風花雪月をプレイできたのはこの上なく幸せな体験だったと思います。
既存タイトルでは、途中加入させるしかなかったキャラクターたち。
そんな彼ら彼女らは、学園という舞台の中で、物語の最初期から全員が顔を合わせているのです。つまり、みんなが平等に物語の冒頭から登場していて、みんなが平等に物語へ巻き込まれているのです。
プレイヤーは主人公ユニット(=担任)の操作権を与えられます。今作では男主人公と女主人公が選べるようになりました。
チュートリアルを終えた後には、3つある学級から1つを選ぶように促されます。
赤・青・黄のイメージカラーを持つ学級には各々のコンセプトがあり、それに沿った個性的なキャラクターたちが集まっています。このうちの一つを選びますが、それはその学級の生徒ばかりと物語を進めていくことを意味しないのです。
具体的に行きましょう。風花雪月には戦闘パートと散策パートがあります。
戦闘パートは、上記で選択した学級の生徒たちとの関りがメインです。既存シリーズと比べ、三竦みの概念に多少の変化はありましたが、それ以外は基本的に歴代のフォーマットを踏襲しています。
一方、散策パートでは、舞台が学園であるがゆえに3つの学級全てが同じ空間を共有しているのです。したがって散策パートでは、プレイヤーがどの学級を選んだとしても全てのキャラクターと思うままに交流できます。既存シリーズから見るとすさまじい躍進ですが、これは特別なシステムによってではなく、単に「学園モノ」という舞台を用意するだけで達成されてしまったのです。
そして学園モノの持つ破壊力はコレだけではありません。
学園という舞台で、プレイヤーは「教師」という立場を得ました。教師は授業/指導を通して、自然に生徒と触れ合います。そしてこの授業/指導という仕組みはプレイヤーの独創性を担保し、「あなただけの生徒」を作り上げる手伝いをしてくれるのです。プレイヤーは入手した情報をもとに思考を巡らせます。
どのキャラクターにはどの指導を行うのが適切か?
常に考えます。
各キャラクターには得意不得意という設定があり、それぞれの個性に合わせた指導をプレイヤーが考えるのです。日常の中で生徒たちの考えを聞き、関係性を感じ取り、彼ら彼女を知ろうと試みます。ここではごく自然に、プレイヤーの欲望とゲーム的利益がお互いを支持し合っています。
なんとストレスフリーなことか!
そして指導の結果は、戦闘能力という形で戦闘パートに引き継がれるのです。
過去作において戦闘に関わるパラメーターは、基本的に、戦闘パートでしか成長しませんでした。したがって、日常の延長線上にあるはずの「戦争」がどこか特別なものになっていたのです。
ところが風花雪月では、そうではありません。
散策パート(=日常)での出来事がそのまま戦闘パートに引き継がれます。そうすることで日常が戦争の側に引きずり落され、反対に戦争が日常の側に引きずり落されることになりました。つまり、すべての出来事が地続きに感じられるのです。ぼくたちは教師として生徒に日常(=生)を謳歌させながらも、同じく教師として生徒を戦場(=死)に送り込まなければなりません。そして言うまでもありませんが、ここにロストシステムが組み込まれているのです。この時に抱える緊張感は、既存タイトルのどれにもない緊張感です。
さて、上記で示したものはどれも「学園モノ」という設定がなせるワザでした。
そしてその設定を最高の領域に持ち上げるべく、お茶会システムや落とし物システムがその脇を固めていきます。ぼくたちプレイヤーは、これらによって、かつてないほどに「生きた一人のキャラクター」と出会うのです。
風花雪月のストーリーについて
メインストーリーは「宗教」「国家」「戦争」をテーマに描かれ、第一部と第二部に分かれています。第一部の物語は学園全体が巻き込まれる形で進んでいくため、ストーリーに「絡むキャラ」/「絡まないキャラ」という区別は無くなりました。登場人物全員にストーリー情報が共有されています。
さらに上述した散策パートで、ぼくたちプレイヤーは、広大な学園の中を自らの足で歩いて回ります。その中で生徒たちが物語をどう体験していたのか、本人の口から直接考えを聞くことが出来ます。そしてその応答は生徒一人一人によって異なっているのです。
教師という立場に立ち、生徒たちの考えを聞き、それをどう受け止めるかはプレイヤーによって異なるでしょう。そして風花雪月ではその差異に応えれるだけの厚みを持ったストーリーが紡がれています。その厚みを保証するだけのシステムが構築されています。本作の売りの一つである「スカウト」システムもその一つでしょう。これは生徒を自らの選んだ学級へ誘うことのできるシステムですが、文字通り、スカウトです。声をかけるか、かけないか。その自由はプレイヤーに委ねられます。
今までは第一部の話をしてきました。
少しだけ、第二部にまつわる話をしようと思います。これからは多少のネタバレが含まれますが、あくまで公式から提示された以上のことは含みません。どうしても気になる方は以下の文章を読まないでください。
さて、第二部は第一部とは対照的です。
第一部では登場人物全員へ同じ情報が共有されたままストーリーが進みましたが、第二部ではソレが変わるからです。第二部では、第一部の三つの学級に対応した三国がそれぞれ対立し、争っています。そのなかでプレイヤーは選択した学級に対応する国家へ加担する立場で物語を体験していきます。
ここで最も大切になるのが、第一部の内容は全員に共有されていた、という前提です。これ以上踏みこむと過ぎたネタバレになってしまうので止めますが、これがFE史上最高のスパイスになっているのです。
これは、プレイしていただければ確実に分かっていただけることでしょう。
外伝について
シリーズおなじみの外伝も健在です。
風花雪月では、授業の一環である「実技実習」として討伐や遠征に出かけることが出来ます。そのうちの一種が既存シリーズの外伝に当たります。
今作では、1章につき1か月の時間が割り当てられています。つまり、カレンダー的な時系列の中で物語が進んでいきます。外伝はメインストーリーの進行に合わせ、時間的矛盾の起こらないような形でプレイヤーに提示されます。それはどれもメインストーリーの裏側を補強するような内容であり、プレイヤーにゲーム世界の理解を一層促すものになっています。
ぜひ、外伝も併せて楽しんでみてください。
まとめ・おまけ
『風花雪月はFEシリーズの最高傑作であった』と胸を張ってお勧めできます。
おそらく、風花雪月をプレイしたエムブレマーのほとんどが同じ意見だと思います。このゲームにはそれくらいのインパクトと熱量がありました。これはこの記事を書くにあたって改めた分かったことですが、今までのFEシリーズの総決算とでもいうべき完成度です。初代から無双を含め、Echoesまでのタイトルで培ってきた全ての結晶がこのゲームです。
また、2020年2月13日に配信が開始されたDLCによる追加シナリオ、「煤闇の章」をプレイすることでさらに磨きがかかったように思います。これはメインストーリーという表舞台に立つことのできなかった人たちの話です。新キャラも登場し、その誰もが非常に魅力的でした。
風花雪月はかなりのボリュームがあり、スキップや引き継ぎを駆使した私でもすべてのストーリー(≒立場)を体験するのに200時間かかりました。非常に疲れますが、それに見合うだけの達成感と感動を受け取ることのできる作品でした。
ここまで読んでくれた方には少ないとは思いますが、もし未プレイの方がいらしたら是非、プレイしてみてください。もうすぐ一周年ですし、switchにはカタログチケットという優れたものがあるので非常にお勧めです。
繰り返しますが、FEと学園モノはものすごく相性が良い。
古参エムブレマーを自覚している方、覚醒/ifの流れでFEから離れてしまった方。
そんな方にこそ、プレイしてほしいです。
プレイすれば分かるのです。
必ず推しが見つかります。
必ず推しカプが見つかります。
かつての私は学園モノの持つパワーが分かりませんでしたが、今は反省しています。
任意のキャラとお茶会ができます。メインストーリーはもちろん、支援会話もフルボイスです。素晴らしい点は枚挙に暇がありません。一度見たムービーや支援会話はタイトル画面の「エクストラ」からいつでも確認できます。二次創作に身を沈めている人間としては土下座をしても足りません。ありがとう。ひたすらにありがとう。
ファイアーエムブレム風花雪月は7月26日で発売から一周年を迎えます。
こんな素晴らしいゲームを生み出してくれたクリエイターに感謝しながら、みんなで一周年を盛大に祝いましょう!!
それでは。